月別アーカイブ: 2016年1月

立春(一年の始まり)に向けてまだ大掃除間に合いますよ^^

昨日は琴獎菊負けちゃいましたね、、

さて、みなさんは年末の大掃除はしっかりすんでピカピカですか?

年末は旅行にいっていたり、体調を崩していてまだお掃除が済んでいない方、バタバタしていてまだなの、って方も大丈夫ですよ!

なぜなら、まだチャンスがあるからです♪

かつての日本人にとっての一年は十二支上で展開していました。

一年という枠組みだけでなく、
人だけでなく、あらゆる生物の一生や
さらにはこの世とあの世、
あるいはもっと小さな枠組みの朝夕、昼と夜も
この十二支盤上で動いていたのです。

時代劇などを見るとき、
丑三つ時、亥の刻などといった表現をしていますよね?

また神道祭祀はもちろんのこと、仏教や一般の年中行事にも
十二支の考えがもちいられているのです。

が、暦が移行したこと(太陰太陽暦から太陽暦)、
そして、明治期に陰陽五行が迷信として、識者から否定されたことが大きな要因となり、残念ながら日本人の暮らしから十二支の考えが消えてしまうこととなりました。
意図的とも思えます。

日本の祭りや行事は十二支によって理論づけれられていて、今もなおそれは守られているのに。。。です。

現在の日本では新年は太陽暦(西洋歴・グレゴリオ暦)に従って1月1日ですね。

明治以降その感覚は日本人の中にしみわたっています。

1月1日は冬至(12月21日のころ)からわずかに10日足らずのまだ寒い冬(子月)であるのにも関わらず、
新春や迎春、と春という文字を使いますね。
おかしくないですか?

これは以前は2月4日の立春が新年であったことの名残だと言われています。

立春の前日に節分の行事がありますね。
節分とは節を分けると書きます。
実は一年の内で節分に当たる日は4つある(春夏秋冬の区切り)のですが、その4つの節を分ける日のなかで最も重要な一年の始まりと終わりの節分になるからですね。この節分と立春の境は、暦では丑月と寅月の境でいわゆる鬼門にあたります。

立春=一年のはじまり、の前の日=節分に
家をきれいに掃除することで
陰気を(塵やごみ、ガラクタといったものは風水的にも陰の気をもたらします)一掃して新しい春を迎える準備をし、やがて来る春を祝ったのが立春=お正月、だったのです。

節分には豆をまく、そして鬼は外、福は内と言いますよね。

陰はその昔、オニという読み方があったそうです。

つまりオニ=陰気は外へだし、福=春=陽気を迎え入れる
行事だったということで、その行事を取り入れながらも
新年だけは太陽暦にのっとって1月1日って
なんだかすごく変なことをしているわけですね。私たち。

最近は節分は恵方巻を食べる日になってしまっていて
本来の意味はどこかにいってしまってますが・・・

算命学では十干と十二支の組み合わせの最小公倍数である
六十の周期で日を数えます。
甲子から始まって癸亥で終わりますが、この組み合わせを
「六十花甲子」と呼び、生まれてから六十年を経ると、
その人が生まれた年の干支を迎えます。

例えば2015年は乙未年でしたから2015年に生まれた
赤ちゃんは60年経つとまた乙未年を迎えるということになるのですね。

それを「還暦」すなわち、

暦が六十個すべてをめぐってもう一度還ってきたこと、
始まりから終わりまでの一巡をしたことを祝い、

また、新たな人生が始まる、新しく誕生するということで、
新しく生まれた赤ちゃんと同様
赤い頭巾や赤いちゃんちゃんこがお祝いの品として贈られるという、儀式でもあるわけですね。

この還暦を祝う風習は今なお日本の社会の中に根強く生きていますね。

節分しかり、還暦しかり、

陰陽五行を否定した日本人も知らない間にこういう法則の中に
生きていることは興味深いことでもあります。

自然界のリズムの中で生きようとする肉体的な感覚というものは、たとえ時代の波の中で識者や時の権力者による思想や政治で封印されたり奪われたとしても、伝承や歌や風習の中に息づき、伝えられていくものなんだなとも思います。

私は感覚的にも西洋歴よりも太陰太陽暦が自然界のリズムに合っていると思っているので算命学を知ったことでとても助けになっています。
陰陽五行論について否定的な考えもありますが、私は学べば学ぶほど奥が深いと思っています。

自然の環境が人体に深い影響を及ぼすというのは、中国古代哲学の根幹であり、人体もまた一つの小宇宙であると観て、宇宙と人体を一如となしているからです。

陰陽五行は現在の鍼灸や中医学(東洋医学)の考えの根本でもありますね。

話は大きくそれましたが、

というわけで、12月31日までに大掃除が済んでいない皆さんも
私も!まだ大丈夫なのですよ^^
立春までに断捨離して、きれいにして、カラダもきれいにして、新しい春を迎える準備をしましょう!

もっと言ってしまえば、初もうでも立春以降が本来の初もうでと私は思っています。

現在の三が日は一応現代のお祭りとして私も楽しみますが、
ほんとうの年明けの祈願は立春以降が理に適っていると思うのですが・・・
一年の計は元旦にありといいますが、この元旦、どちらと考えますか?

あ、そうそう今(丑月)は水の気(冬)の最後の土用の期間ですね。
季節の転換点であるわけですから、私たち人も、転換点です。

手放すべきものを手放し、身軽になって(笑)、まるで
冬の暑いコートを手放して、軽やかな春の装いに変化するように、新しいスタートを切るべく準備をしましょう♪

この丑月の土用期間は2月3日まで続きますよ。

今日は関東はまた雪だとか、
どうぞ気を付けてくださいね。

ではみなさま、佳き週末をお過ごしくださいね~~

 

琴奨菊3横綱破る!

琴奨菊の連勝が続いていますね!!

一昨日は白鵬を! 琴奨菊
昨日は日馬富士を破り 琴奨菊 ①
単独12連勝!!!

日本人力士が10年ぶりに優勝なるか!?という期待が
ますます膨らみますね~~

 

琴奨菊の今場所の相撲はなんだかぶれない強さを感じます。

白鵬を破った勝因を聞かれて、

「自分を信じたこと」と言い切りましたね。

その言葉を裏付けるような相撲です。
と素人の私がみても 思います!(^^)!

ぶれずに自分を信じ切るって大事ですね^^

それとは対照的に白鵬は昨日豪栄道にたいして
かわし相撲での勝利・・・

う~ん、真向からぶつかっている琴奨菊と比べると
どうも翳りが見えているというか、不安があるのかな?
って思えるような最近の白鵬。
体調が今ひとつなのでしょうか・・・

自分を信じて頑張っている琴奨菊、
ご結婚されて、きっとおうちで支えてくださる奥様の存在、
大きいのでしょうね。

 

 

 

算命学プチアドバイス、今回は日本という国について

みなさん、こんにちは~

今回の算命学プチアドバイスは
日本国の宿命について を見直しました。
2010年に書いたものなのですが、戦後の日本の国の
大きな流れの中で、これまでで最も苦しい時代の
最後の一年がこの2016年なので
今年は国にとっても私たち国民にとっても正念場だな~と
思えます。

私たちはそれぞれの個を生きていますが、
日本の国の大きな運気の中でその影響を受けながら
生きていることにもなります。

日本という国を多少なりとも知っておくということは
個々にとっても大切なことだと思います。

参考になることがあれば幸いです。

・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。

以前に読んだ新聞の記事にこんなことが書いてありました。

「日本人はこわがりの遺伝子を持っている割合が
ずば抜けて高い」という説があるそうです。

もともと危険を冒してリスクを取りに行くということよりも、
安全・安心を求めたがる国民性がある・・・・・

その記事を読んで、
あ、日本国の宿命!!だな~と思いました。

なので、今回は国家や集団にも宿命があり、
その特徴を読み取っていくことができるんだよ~
というお話です。

国家・会社などの集団の見方ですよ。

http://aigamakoto.com/main/2010/09/02/日本国の宿命と運気/

着物を着て♪

昨年11月にニュージーランドからワイタハファミリーの可愛い
娘、エリーが日本に初めて遊びに来てくれることになったときに、一緒にニュージーに行った仲間たちとエリーを関東、関西の各地に案内することにしました。

一昨年、ニュージ―で行われた「水の祈り」のセレモニーの時に私たちはワイタハファミリーの皆さんに言葉では尽くせないほどのお世話になったんですね~~

そして長老はじめ、ワイタハ族のみなさんからたくさんのことを学びました。

暖かい思いやりと利他のココロに満ちていて、日常の生活の中に歌があって、踊りがあって、ね。

もちろんニュージ―にもニュージーの問題があり、悩みもあるけれど、現代の日本人が本来は持っているのに忘れてしまっているもの、なくしてしまっているもの、に気づかされたように思いました。

このはなしは長くなるからまたの機会にするけれど、

今回エリーが来てくれて、エリーと一緒に鎌倉・江の島にいき、みんなで我が家で合宿して(笑)浅草やスカイツリー、そしてエリー希望のキットカットショップなど(わたし、知らなった!)を巡ったんだけど、浅草でエリーに着物を着せて、人力車も体験してもらおう!ってので、エリーと一緒に私も久々に着物を着たのですが、
(これは浅草のレンタル着物ショップで借りたものです)

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初めて、人力車にも乗って、しかも3人掛けは浅草にしかない!ってお兄さんたちは自慢していましたが、楽しかった!!

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(ちょっとお兄さんかっこつけすぎ・・あはは)

人力車は鎌倉にもいるけれど、普通、地元で乗らないからね・・・(笑)

それにしても体重の平均をね、まあ50キロとしても
150キロ、それに結構重いリュックとかも載せていたから
かなりな重さを一人で引いて走るってすごいね~~~。
エリーは外国人だからちゃんと英語で説明もしてくれましたし
記念写真のためにカメラマンにもなり、と大活躍でした。

私はと言えば、久々に着た着物が背筋がシャキッとして
とっても心地よくてね、
タンスにしまいこんだままの着物たちもあることだし、
簡単なウオッシャブルな着物も今はたくさんあるし、
よし、来年はもっと着物を着る機会をふやしたいな~と
そのとき思ったんです。

どうして着物を着ないかっていうと、やっぱり面倒なんですよ。着る前も着た後も、色々とね。

自分で着ることができないから余計におっくうになっちゃうわけで、簡単な帯結びができるように誰か教えてくれないかな~、しかも自宅で教えてもらえたらな~と
思っていたら、なんと算命学の生徒さんにいましたよ。

着付けの先生が!

算命学のクラスの後に我が家で着物着付けクラスをしてもらって、
そのまま着物を着てちょっと鎌倉あたりに出かける。なんて
妄想が妄想でなくなりました。

おもえば叶う、ですね^^

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こんなふうに着物をちゃんとひとりで着て、お出かけする日が今年は あるはず・・・うふふのふ

本気で学ぶ価値あり!

光の存在を知るには影があってこそ、といいますよね。
その逆もまたあるわけで。

全ては混沌として、分かれていない、ひとつであった
宇宙原初の存在。

同時に
大自然の森羅万象には天と地、上と下、昼と夜、といった
相対する原理も内在しています。

相対するものは相対するがゆえに、
お互いが深く影響しあい、交感して、交合し、
新たなものを生じるわけです。

片方だけでは万物を発生することができないのです。

天と地がまじりあい、私たち人間や動物を育み、
男と女が交合して新たな生命が誕生します。

陰陽が合して、初めて生成が可能となるわけですね。

性=生命はとても神秘で、かつ聖なるものとしてとらえられているのです。

ここに算命学の根幹となる陰陽思想があります。

根源はひとつであると知りながら、分離の世界に生きているわたしたち。

自分とは異なる他者の存在あってこそ、
自分を知ることができるとも言えますね。

算命学の個人セッションでは、自分というものにフォーカスをあてますから、
より深く、知りたいことを知ることができます。

自分がどんな役目や質をもって生まれてきたか?
それはどんな環境であれば活かされるのか?
今の自分は活かしているのかどうか?
自分とまわりのものとの関係性はどうなのか?
たとえば、パートナーとはどうなのか?
親や子供との関係性はどうか?
宇宙と先祖からいったいどんなものを与えられているのか?
徳や因縁とはどういうものか?
与えられたものをどう表現していくことが自分らしく生きるということになるのか?
どうすれば周りの役に立つことができるのか?
今までの生き方はいったいどんな影響を自分に与え、今後はどう生きていったらいいのか?
現在はどんな流れの中にいるのか?
今年は自分にとっていったいどんな年なのか?

などなど、自分をどんどん掘り下げて、その時のテーマに沿った内容で自分を 見ていくことができます。

そこが個人セッションの強みでもあるわけですね。

では、算命学講座というのはどういった目的、あるいは強みがあるのでしょうか?

算命学講座では、客観性をもって自分を知ることができます
つまり、その人の心のおこり、仕組みについて知ることができます。

人は自分以外のものになろうとすることがありますね。
自分の良さを認められずに、
もっとこうあるべきだ、こうあらねば と思い込んだ
(実は、それ思い込んでいるのですよ)
別の自分に 一生懸命 なろうとがんばっているうちに、
いったい本当の自分とは何だろう?とわからなくなって
しまっていることがあります。

あまりにも あたりまえすぎて、
実は自分の良さに気づいてないこともあります。

心の奥底ではわかってはいるけれど、
見たくなかった自分というものもあったりして、
自分を知るとちょっと痛い、と感じることもありますよね(;^ω^)

実は自分にないものは理解できないのが人間なんです。

自分と同じ価値観や、同じ考え方、であれば、
その人のことを好きになったり、
友達としてうまくつきあえたり、
親子でも恋人でもパートナーでも、
分かり合えることが多いですね。

でも縁あって家族になる人たちというのは往々にして、
異質な存在であることがあります。

特に夫婦はもっとも身近な修行の相手である、とも言われていて、(苦笑)

夫婦の形はどの夫婦も「相剋」の相手であるのです。

相反する考えや、全く異質のものを持っているからこそ、
そこに異質なものを受け入れる、という学びがあるわけです。

でも人間だから、なかなか異質なものを受け入れがたいことがあります。

感情というものもありますしね。

一つのものを見て、どう感じるか、どう反応するかはほんとうに千差万別ですよね!!

え~~~!!そんなふうに受け取るんだ!
そんなふうに感じるんだ!と
相手の感じ方、受け取り方にびっくりした経験はみなさんにもあるでしょう。

そうです。

当たり前だけど、あなたとあなた以外の人は違うんです。
感じ方も受け取り方も違うんです。

心の反応の仕方は、どれだけ心理学や哲学を学んでもわからないことがあります。

でもなんでだかわからないけれど、そう思っちゃうし、
そう反応しちゃうんです。

だって、そういう人だから

このだってそういう人だから。が

実は自分だけでなく、相手(他者)を理解するのにすごく役立つのです!!!

もう、理屈じゃないんですよ。
そういう人なんです。(笑)

それを真に理解できれば、無理に相手に分かってもらおう
なんていう 無駄な努力をしなくなるし、

わかっても、わかってくれなくてもいいやと思えるし、
(だってわかってもらえようと、わかってもらえなかろうと
それが自分だから)

さらに言えば、

すべてをわかるということ自体が幻想なんだと
気づきます。

自分の宿命にない星というものは、ないのだからわからないんですよ。
理解できないんです。

でも理解できない、それではい、おしまい。ではありません。

客観的に星の心を知れば、

「ああ、だからなのね」
「なるほど、だからそう反応するし、そう思うのね、私とは違うけど」
と、認めることができるようになるのです。

この、違いを認めることができるということが実はとても大切で、
私たちをものすごーく楽にしてくれるのです。

自分の星を知って、その星の心の反応の仕方や、星の特徴、
いいところもわるいところも理解できるようになると、
自分の良いところも悪いところも
あ~だからか!!と合点がいき、自分自身を認めることができます。
客観的に自分を見る視点を得られるのです。

そうして

自分を深ーく、深ーく認めることができると、
すると、相手(他者)も認められるのです。
相手(他者)が自分と同じように愛おしい存在になっちゃいます。

世界を広げていくと、あっちこっち、出っ張ったり引っ込んだりしているひとりひとりが
お互いを認め合って、一つの丸い地球を作っていることが体得できますよ。

そうなれば、ダメだと思っていた自分の欠点さえも
愛おしいものになります。

もちろん、パートナーの欠点も、です。(笑)

愛おしいたくさんのあつまりがひとつなわけです。
ひとりひとりが個を発揮しながら一つを形成していることが、たまらなく愛おしくなりますよ。

みんな違っていていいんだ!!と
こころから納得できます。

自分が生きて、自分をありのままに発揮すること。
それこそが世の中の役に立つことなんですもの

だから、どんな自分を世の中の役に立てていったらいいのか、知らないではいられないでしょ?
私が伝えたいのはそこなんです。

学んで成長してそれぞれの場で活躍していってもらいたい。

いつの日か算命学者になる人だって出てきて、
こんな新しい理論を導きました~なんて、今度は私が教えてもらえるようになる日がきたらどんなにわくわくするだろう!って思う。

教える道あり、
自分の仕事に算命学を使って、より強みを得る道あり、
自分や家族のために学ぶ道あり、

算命学はどのようにも活かしてもらえるツールのひとつであり、この宇宙の法則を学ぶ一つの考え方として基軸になるものだと思っている。

算命学は本気で学ぶ価値があります。

ご縁のある人たちに是非学んでほしいな。