どうしてカラダが大切なのでしょう?② 腸能力の開発

今日は新月ですね!
さて、前回のブログの続きです。
(恐れを克服し、飛んだところです。)   (ドランヴァロと。お宝写真)
140220 セドナ20   100214 セドナ ドランバロと

くすぐったくて逃げたい場所は、
人から触れられたくないものをそこに持っているということ。

触れられたくないもの?

癒されていない感情をたくさん抱えていたのに
私はないものとしようとしていたんですよね。
ほんとうの気持ちとは違う言動をして、
自分の奥にある大切なモノを守ろうとしていたのかもしれません。

傷つかないように・・・

カラダってすごいな~と思いませんか?

カラダはずっとそんな声をあげていたのかもしれないのに
わたしは気づかなかったんですね。
その声に耳を傾けることすらしていなかったんだと思います。

泣くということは浄化です。
涙はいろんなものを洗い流してくれます。

涙の海をつくっていたときでした。

もっと愛を流れさせよ。
と、どこからか聞こえたような気がしたのです。

魂が傷ついたと思っているのであろう。
踏みにじられたと思ったのであろう?
だから誰にでも自分を見せたくないと思っているのであろう?

それは傷ついたように思っただけだ。
魂というものは、魂の尊厳とでもいおうか、
それは何があっても、誰にも汚されたり、傷つけられたりはしない。

最も崇高で尊いものだから。

心の表面がこすれたようなものだ、ちょっとひっかかれたようなもの。
反応しただけ。
だけど、あなた自身、つまり魂は誰にもキズなどつけようがないもの。

人間というもの、その奥にある大切なもの、それがどんなに素晴らしくて奇跡に満ちたものか、まもなくあなたはそれを見ることになるだろう。

だからそのようにたくさんの扉を立てて

この人には2番目の扉まで
その人には6番目の扉まで
またある人にはもうちょっと奥の扉まで・・
というように
いくつもいくつもの扉をたてて、
自分の中にいれる人を、奥の真の自分に触れる人を
より分ける必要など、ないのだよ。

あなたの最後の扉をくぐった人はいるのかな?

はははは

大丈夫。

扉など立てなくてもいいのだよ。

誰にも傷つけることなどできないのだから。
そのように臆病にならなくてもよい。
そのような臆病者ではないだろう?

だからあなたの溢れる愛をそんなふうに制限せず、
全部全部見せればいいのだ。
全部全部与えてしまえばいいのだ。
尽きることなどないのだよ。

そんなことは十分にわかっているであろう?

もっと開くのだよ。心も体も
もっと自由になれるから。

いつでも愛されている。
いつでも守られている。
忘れないで。そのことを。

声の主が誰であったかわからないし、
そんなのはどうでもよかったのです。
私にとってそれは真実だと思えたから。

見抜かれていました、全部。

その後、声の主が言ったとおり、
私はほんとうに人の魂の気高さや美しさを
実際に見る機会を得ました。

ブラジル人のシャーマン、マリア・ルシアの
シャーマニック・ヒーリング・タッチというワークショップに出たときのことでしたが、その感動は言葉にすると陳腐になってしまうのが悔しいですが、ほんとうに奇跡のような完璧な美しさでした。
その時触れたどの人の魂もです!
忘れることができません。

算命学の個人セッションで私の目の前に座る人たちのことが
ほんとうに愛おしいと心から思わせてもらえるのは、
この経験があったからだとマリアにはとても感謝しています。

そのマリアも帰らぬ人となりました。
(マリアの話はこれまた長くなるので機会があればにしますね)

カラダがいかに正直に自分にいろんなことを教えてくれるものかを
知って、私はカラダに興味がわいたんですね。

だとしたら、ココロに働きかけるのも一つの方法だけれど
カラダへのアプローチがわかりやすいってこともあるな~とね。

ココロとカラダがこんなに密接に繋がっているなら、
ココロの思い癖みたいなものはカラダにも表れるはず。

カラダの使い癖を直したり、カラダをしなやかにすること、
その時その時の感情をためずに上手にリリースすることを
カラダを使って していけば、自然とココロも柔軟になるはず。でしょ?

自分を自由に、おおらかに表現できるしなやかなココロやカラダを
手に入れたい!!って思った私は、さらにカラダへのアプローチのために自分にあったものを探し始めたんですね。

整体にいってカラダを整えてもらうとか、
ボディセラピーにいくのもいいけれど、
毎日通うわけにもいかないでしょ?

自分のことは、基本自分で、です。

だって誰よりも自分が自分のことを知っているわけだからね。

頭にごまかされず、ちゃんとカラダの声を聴いてあげたい。
カラダが欲すること、欲しないこと、もっと奥からやってくるもの
奥から生まれ出てくるもの、
その微細な感覚に自分を開きたい。

ココロは本来無限。自由に、どこにでも行ける。
空想したり、妄想したり・・宇宙にだって行ける。
でもカラダは有限。
だから、カラダはいつも、今ここにある。
逆に言えば今、ここにしかない。
ボディワークはその意味で、いまここにいることを
させてくれる。
気が上がりやすい人や、地に足がついていない人は
ボディワークがいい。
自分の中に染みついている誰もが様々持っている
『制限』を外すにはカラダから入ると早いのではないか、
とも感じています。
(最近の若い人はそういうの、ない人たちも多くて
うらやましかったりします。。。イイことです)
思考が先に立つ人、感覚よりもどうしても頭で物事を
考えがちな人はボディワークをして、カラダを緩めることが
近道だとも思いますよ^^

できるだけシンプルでわたしにでもできるもので・・・と思っていたら
当時チベット体操としてすでに出逢っていたものや、気功をもっと深く学べないかな~とね。

それからいろんな出逢いがあって今に至るわけです。

だから私がチベットヨーガクラスをしているのは、

ただ体操をするのが目的でもなければ、
ダイエットとか きれいなボディを作るとか、
そういったことが目的でもない。
もちろん二次的な効果としてはもたらされるものであるのだけれどね。

シンプルに自分の身体の声を聴いて、いつもカラダの奥の微細な感覚に
自分を開いていられるようなカラダとココロを作ろうと思ったんですね。ココロとカラダをちゃんとひとつにしたいと思ったのです。
そのためのツールの一つなんですね。

まさかね、それを自分がクラスとしてやるようになるなんてことは
夢にも思っていなかったんですけれど・・・

またまた不思議なめぐりあわせから人さまに教えるということを
引き受けることになったのです。
沢山の人にお世話になりました。感謝です。

チベットヨーガを教えたいと思って習ったわけでもなければ、
それを仕事にしようなんて思ってもいなかったのに、
人生って不思議ですね。

その後クラスをするようになった数年後、私は、
まさかの緊急入院→手術をすることになったのですが、
超能力は実は腸能力だ!と実感することがあってね、それからは
ますます腸に意識的になりました。

今は、みんなで同じ空間を感じ、創り、シェアしながらカラダに対して向き合っていけることがほんとうにありがたいことだと思っています。
チベットの高僧リンポチェさまとの出会いやクンルンとの出会いを経て、クラスの中身は変化しつづけています。

皆さんも是非何か自分に合った方法で、カラダの声を聴くこと、
してみてくださいね!!

きっときっと役に立ちますよ^^

20140812212241

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今月のチベットヨーガクラスです♪

<湘南藤沢クラス>
5日
10日
15日
18日(コラボクラス)
29日

<愛知県江南クラス>
13日

お問い合わせはこちらに↓お願いします♪
info☆aigamakoto.com (☆を@に替えて送信してね)

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