算命学って当たるんですか?

算命学って当たるんですか?ってね、聞かれることがあります。
昨日は、友人にコンテンポラリー風水の説明をしていたら、
「それって当たるの?」と聞かれました。

こういう時返事に困ります。

私にとって、算命学もコンテンポラリー風水も当たるか、当たらないか、という位置づけで扱っていないからです。

命を読むものは(占星術系)はどれも基本はそうだと思うのですが、
そもそもその人が持って生まれたブループリント(宿命)は当たるとか当たらないとかいうものでなく、その人がその人を生きていれば、当たっていると感じるし、違う自分を生きていれば当たっていないということになるかもしれないな~というだけのことです。

後天運で自分が選び取った結果、生じるもの、やってくる現実は自分が選んだ結果です。

もしも当たるか当たらないか、という部分があるとすれば、
未来に起こりうる予測をしたときに生じる可能性ですかね。
これも本人が何を選択するかによって結果はまったく違うものになるので、絶対にこうなる、というものは何一つないし、人は変化していくものだから、今立てた予想は次の瞬間にはくつがえることだってあるわけです。

だけど、世間は、いえ、占いの世界にいるひとでさえ、
当たるか当たらないかというくくりだけで見てしまう、、。
それは世界を狭めてしまうんじゃないかな~と思います。

占い(ここでいう占いはカード系のものではなく、命をよみとる系のもの)は、自分を知る手段(ツール)に使ったらいいと思うのです。

自分の感情や行動がどこからやってきているものか、

この星の影響やパワーを受けている、もらっているから心がこんなふうに動くんだな~とか、

感情を表すときはどのようになりやすいか、
例えば怒る時はどんな怒り方になるのか、

といったことをわかって、
自分自身をとことん受け入れて好きになるため、
とことん自己受容をするためのツールとして使ったらいいのです。

そして

あの人、どうしてあんなものの言い方をいつもして私につっかかるのかな?
夫や妻の行動が理解できないわ・・
同じようにお腹を痛めて生んだ子供たちなのに、どうして次女とはうまくいかないのかしら?
まったく、あの上司ときたら信じられないわ~あんなこと言うなんて!

といった、自分だったらそんなふうに言ったり、行動したり、感じたりしないのに、それを言ったりやったりするわけわからん!!(笑)他者の言動の理解ができるようになるのです。
その人たちの持つ星を知ることによって。

あ~だから夫はああいう言い方をするのね。
この子とあわないんじゃなくて、ただ理解してなかっただけなのね。

というように。

あなたの器を拡げることができるし、自分ともうまく折り合って
愛し合っていくことができると、他者のおかしな(と自分が思っているだけ)言動も理解できるようになるのです。

そうすると
何か自分のことを誤解された!と思ったとき、
その誤解を解こうと必死になって頑張って、

結果、自分が望むようには理解されなくて疲れ果ててしまう・・・
なんてことがなくなります。
必要以上の期待を抱かなくなるからです。

自分がちゃんと自分の理解者であるとき、
その人がどうしてそう受け取るのか理解できるとき、
「それは誤解だよ。」とはいうでしょうが、
相手にわかってもらえるまで、なんていう無駄な努力に
大切なエネルギーを注ぐことがなくなります。

人は自分の感じたように見るものだと知っているからです。

どうしてあのひとはわたしにこんなことを言ったのかしら?と、
そのことがわからないと、
嫌われたのかしら?とか、
何か自分が悪いことをしたのかしら?などと
くよくよ考えて時間とエネルギーの無駄遣いをすることもなくなります。
そんな暇はありません!

あなたにはあなたのするべきことがたくさんあるし、
あなたが自分を活かして誰かの役に立つことができる時間を
くよくよ悩むことで使ってしまったらもったいないですからね。

そういう時間がう~~んと減ります。
自分を知って、他者を理解するということで。

星読みはそういう風に使うと、周りの人たちにも寛大になれるし、
無駄なエネルギーを使って疲れていないから、
いつもニコニコ笑顔でいられます。
そしてその波動に引き寄せられる笑顔の人たちが集まってきますからね。

かつての私はね、上に書いたようなことをぜ~~んぶやっていたからね、よくわかります。
性格とかね、人はとやかく言いますよ。ほんと。
そういうことを言う人に限って自分はどうよ、と思う人ばかりです。

性格って、それは個性というか、持ち味です。

陰気とか、無駄に明るいとか、
冷たい、おしゃべり、目立ちたがり・・・

人のこと、ほっとけ~!!ですよね。

算命学に出逢ってから、毎日のようにいろいろな方に出逢うわけですが、
どの人もどの人もほんと、素敵なんですよ。
っていうか、いい味だしているってことがすごく良くわかるようになって、

私は実は、はみだしもの、なんですね。(笑)

わたしの育った中部地方のとある場所では、管理教育っていうかね、
こうあるべきとか、こういうのが正しいとか、
そういうのが結構あったから、そのころは自分の個性(持ち味)にきづいてなくて、理想とされるような形というか枠に自分をいれていて、
どことな~く息苦しさを感じていました。

だから違う場所に行きたかったですね。
もっと広い世界に行きたいと、どこかで思ってた。

ほんとうはあてはまらないのに、無理にあてはめていたら、
それも案外とできてしまう自分がいて、
でもそういう理想にはなれないことも同時にわかっていたから
、いつも自分にダメ出しばかりしていていました。

すご~く自己否定が強かったと思う。
自分のこと好きじゃなかったです。
それはそうだよね、本当の自分じゃないんだから。

だから算命学に出逢って、な~~んだ、私ってこれでいいのね~~
って思えたからほんとうに良かった!!って思っているのです。

算命学に助けられたようなものです。
だから、その恩ある算命学に恩返しをしたいと思っているわけです。
と同時に
きっときっと私だけじゃなくて、算命学との出逢いによって私のように自分を受け入れることができる人たちが必ずいるはず。
そういう人達に今まで出逢えてお伝えしてきたし、これからも
そういう人達に伝えたいと思っているのです。

あなたって駄目ねとかね、そういう性格だと人に嫌われるよとかね、
その人は悪気があっていったりしてなくても、言われ続ければそれは痛みとして残るよね。

そういう弱みだと思っていた部分はすべては陰陽(裏表)だから、
ものすごい強みにもなっているのです。実は。

だからすべての経験が宝だし、人は本当に複雑な生き物で
人が断定的に「あなたはこういう人ね」なんて言えるような単純なものではございませんのよ。

そのことがほんとうに星を理解するようになるとわかるから、
当たる、当たらないじゃなくて、理解する道具として使ったらいいと思うのです。

星読みのプロになる必要もなく、なりたかったらなればいいのだけれど、すべての人に知識として知っていてもらいたいな~と
思うすぐれものでございます。

占いをしてもらうときも、当たるか当たらないか、当たったら頼る、当たらなかったら別の人のところに行く、というのではなく、そうしていくと依存が生まれていくからね、

そうではなくて、

自分の人生を自分の足で歩いていくために自分というものや、
自分に関わる人達を理解するための道具として使ってもらえるといいなとおもうのです。

占い師さんのところに行くならそういうことをも聞いてくださいね。

ちゃんとした指針を与えられないような人は勉強不足の人ですから
やめたほうがいいです。

それに自分で学んだ方がいいですよ。学んだものはバイブルみたいなものだから応用がきくからです。

そして自分で学ぶのは苦手だから、まずは自分について知りたいという人はわたくし、愛賀真琴もお手伝いできますから使ってくださいね。

新しいスタートのきょうの新月が、皆さまにとって佳き日となりますように☆

20100818161030

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です