2016年7月の 「what’s new」

月はじめには必ず月のスケジュールとともに更新している
「what’s new」

そこで書いていることはこれまですべて上書きしてきてしまっていたので、文章としては残っていませんでした。

その時その時の月の頭に書いてきた皆さんへのメッセージが、いつも
タイムリーでした、と言ってくださる方もいらっしゃるので、
残していこうと思います。

先月7月の、です。

・。・。・。・。・。・。✧・。・。・。・。・☆彡

私にとってここ一ヶ月ほどの時間は
振り返ってみると、みている景色が変わったと思える
時間になりました。
まるで向うにあった景色がこちらにあり、それを見ていた私が
向うにたっているような・・・反転?

FB_IMG_1467722691163

あちらをたてれば、こちらが立たず、という言葉がありますが、
これまでは、常に二者択一の中でどちらかを選択しなければいけない、と思ってきたし、一方を選択すれば、一方は我慢しなくてはいけない、あるいは犠牲にしなくてはいけない、辞めなければいけない、手放さなくてはいけない、という思考に立脚していたように思います。

だから常にアクセルとブレーキを同時に踏んでいるような感覚があって
苦しかったりもしました。

どちらかを選択しなければならないのだとしたら、身体はひとつだしね、
私はどう生きたいのだろう?
どちらを選択したいんだろう?ってそのことをずっとずっとどこかで
いつもひっかかりながら自分の中で落としどころを見つけるというか、バランスをとってきたようにも 思います。

それは自分自身の不器用さのせいだろうかとも思っていたし、
何かを諦めるようなことになったときには、
自分にそこまで貫く勇気や志がなかったのだと思ったりもしました。

そこで、

自由という言葉が浮かぶわけですが、

わたしはずっと自由になりたかった。

自由って何だろうって思ってきた。

しがらみは時として面倒なものだけれど、
そのしがらみこそが私を育んできてくれたものであることも
間違いのない事実だったりするわけで・・・

その瞬間瞬間に選択はあるのだけれど、
それは決して何かを諦めたり、誰かを、自分を犠牲にしたりすることではないはず。

私は誰の犠牲にもなりたくないし、誰かが私の犠牲になるなんてことはもっと嫌だ。
肉体は有限だけれど、心はどこにでも自由に翼をひろげていく無限の世界。時間を超えて人は自由になれないのだろうか、そこに対立ではなく
調和をもたらせられないのだろうか・・・
ボディワーク(チベットヨーガ)と心のありようや宇宙の仕組みそのものを人間が生きることに置き換えてみていく算命学の両輪や、クンルンネイゴンに出逢って体験してきた一つ一つが、二極や分離に引っ張られることがあっても、真逆のものが出逢って全く新しいものが生み出されていくことを日常の中で教えてくれています。

この一か月、さまざまな愛のかたちを見せてもらいました。

赦しがたいものを赦していく愛
どこまでもどこまでも追いかけていく愛
しがみつく愛
求めてやまない愛
求めても求めても得ることができない愛
ただただ与えることに悦びを感じている愛
ありえない愛
ただそこにある愛
取っ組み合う愛

思いがけずこれまでの自分の思い込みを外させてもらえるようなことが
目前にやってきて、私は「私」というこれまでの器を変えざるを得なくなっていました。

でもそれは予想外に楽しくて、
そして意外にもすんなりと抵抗なくできる自分がいて、
そんな新しく生まれたわたしにびっくりしているこれまでの自分がいました。
それはパートナーについても同じです。

この人はこういう人だから、という相手への思い込みは、過去のある場面や体験の中から生まれたもので、その時は確かにそういう反応だったけれど、今もそうであるに違いないというのは、自分は日々変化する、人も日々変化するなんて、もっともらしく算命学講座で語りながら、実はちっともわかっていなかったんじゃないかと思うほどに、どうやらパートナーに対しての思い込みというのは根深いものがあるらしい。(笑)

その人を丸ごとその人として自分の人生に迎え入れるということ、
一緒に人生を歩むということは、どこかを見ないふりしたりはできないし、その人がパートナーだということは私の人生にすでにあるもので、
そのことを切り離してわたしを見てください、というのはおかしなことだ。

その時、

私たちはもともと自由だったんだと思ったのです。

最初から自由だった。

自分に制限をつけたり、こうしなければいけないと縛っていたのは
わたし自身だったこと。
それは相手や大切な人にも制限をつけたり、縛っていたことになるのだな~と。

ようやく私は私の基盤がなんたるかを確認して、その基盤の上にたっている 私はいつでも自由で、いつでもわたしそのもの。

先のことはわからないけれど、今日も、今を生きていこうと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です