わかり合いたいという気持ち

昨日は最終の新幹線(ひかり)に乗るのに、スカートをまくりあげて走ってしまった。

そういう時に限って裾が長くて邪魔くさいロングスカートなんぞはいているときた。

なんども通っているのにいまだに京都駅までの道が怪しげなわたしのために心優しき友が先導しつつ一緒に走ってくれて、なんとか発車5分前にホームに到着。
ありがとう~~~♡
汗だく。。たぶん彼女も。(汗が冷えて風邪なんかひいてませんように・・・)
でもその5分の間にちゃんとお弁当とお茶も買いましたよ。

昨日のワークショップの影響でもあるけれど、今朝は自分の中で大きな別れの(手放し?)セレモニーがあって声をあげておいおいと号泣😭😭😭💦

泣くとすぐ目が腫れるので、今晩の講座に、まさか別れ話を切り出されて号泣した女のような顔では臨めないので、冷やしてまふ。

今日のにんげんクラブさんの講座のテーマは人間関係に直結しています。

「わかり合う」ということは、わかり合えないという、すごく切ない気持ちと隣り合わせというか、その上に成り立っているようなものだと思うのですが、

そもそも人との間で生きていくことを選んで生まれてきているにもかかわらず「こうすればいいんだよ」などという、絶対に正しい答えはありません。

それでもわかり合いたいという気持ちのために、人間学とか心理学は存在しているのじゃないかと思います。

心理学ではわからなかった(わたしは、ですが)人や物事に対する反応や感情の起こり、みたいなもののヒントがその人がもって生まれた星にもあって、なにかみなさんのお悩みに対してや、あの人とわかり合いたい、でもわからへん!とかね、人間関係が難しいなあと感じている方々への「へー‼」とか、「なるほど‼」にこの講座がなったらいいなあ、と思います。

今日もはりきって、(眼を冷やしつつ、(笑))行ってきます👋😃

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