講座「パートナーシップの極意」からわかったこと

4月4日、にんげんクラブさんで第5回算命学講座
「パートナーシップの極意」についてお話させていただきました^^

「結婚」とは、

いちばん身近にいてお互いを磨き合う!関係
すなわち、相剋の関係性だと算命学では考えています。

 

お世話したりお世話されたり
助けたり、助けられたりする、という「相生」の関係性は縦の関係性であり、

やっつけたり、やっつけられたり、
刺激し合い、成長させ合う「相剋」の関係はお互いが同等である、という横の関係性なのです。

助ける、助けられるというのは基本的には
親が子を世話したり、助けたり、
上司が部下を面倒見たり、
先生が生徒を助けたり、、といった
上下の関係性がある、という見方です。

もちろん、人と人との個人的な関係において
たとえ対等の立場であっても一時的に助けたり助けられたりすることはありますよ。

人に面倒を見られるのが好きな人もいれば、人の面倒をみるのが得意な人もいます。
そういう個々の性質ではなく、

面倒を見る、助けるという意味合いの中に、縦=上下の関係性があるということです。

夫婦は対等=横の関係性ですから、基本は剋しあう関係性の上にあるのですね。

意見をぶつけあうこともあれば、意見の食い違いから喧嘩になったり、
自分の言うことを相手に聞き入れてもらいたい思いが高じれば、お互いが綱引きをしてみたりします。

一方的にどちらかがお世話されたり、面倒を見られたり、助けられる関係ではありませんよね?

そうして違う環境で育ってきた他人が一緒に暮らし、お互いを成長させていく、磨き合っていく、そういう関係性だということです。
良い意味で成長し合い、磨き合うという言い方になりますが、
それは、裏を返せば、いがみ合い、けなしあい、やすりで削り合うといったようになっていく場合もありますからね(;^ω^)
お互いの欠点を言い合い、けなしあうといったようにね。

自分の正義を押し付け合うところに調和は生まれませんからね。

いがみ合いや喧嘩がだめなんじゃないですよ、そんなのありますよ。とーぜん。相剋なんだから。(笑)

全く違うふたりが一緒になれば、化学変化を起こし、そこから新しいものを生み出していく過程にはいろいろなことがあってあたりまえ!!ですからね。

そこをあたりまえ!とわかっているのと、
そうではなくて、

相手が自分に何もしてくれない、
相手がわかってくれない、
相手が悪い、
相手が自分のために何かしてくれてあたりまえ。と思っているのでは違いがでますよね。

愛し愛されるという関係はお世話し合い、面倒を見合い、助け合うことだと思っていると、こんなはずじゃなかった!!ということになりかねません。

そういうね、自分の性格とか特徴とか、個性とか思考パターンや行動パターンとかをね、知る。あるいはあらかじめ予想されることの可能性を知ってその対策を立てる、という考えが占いなのかもしれないけれど、
最初はその傾向と対策のために占いを使う、ということになるのだと思うけれど、

そうじゃなくてね、

自分を知るっていうことは、ありのままの自分を受け入れるということに繋がっているってことが大切だと思うのです。

自分を知って、ありのままの自分に許可ができていけばいくほど、
自分を愛することができればできるほど、自分以外のひとたちをもそういう目線でみることができる。

自分の人生がかけがえのない大切なものだと思えるなら

他の人の人生もかけがえのない大切なもの。

自分を尊重できれば、他者もおなじように尊重できるはず。

人間だけじゃなくて、すべてのものにそういう目線を持つことができるはず。

お互いがお互いの道を尊重しあえば、
人間同士も、自然に対しても、調和ができるはず。

お互いがお互いの人生を全うしたいと思うとき、
濃い関係性をもっている間柄であればあるほど、お互いのありようが
お互いの人生に影響を与え合う。

自分だけが生きているなら、自分の思い通りに、自分の好きなようにできるかもしれないけれど、
譲ったり、譲られたりするってことをしなくちゃいけないときもある。
自分が引かなきゃいけないときもある。

いちばん色濃くそれが起こるのがパートナーとの関係性において。

おれさまやわたしさまではうまく行かないこともでてくる。
自分の正義は、たとえそれが正義でも、相手にとってはそうじゃないこともあるのですよ。

だから自分の分というものを知るということも必要になってくる。

算命学が「中庸」を良しとするのはそういうところにあるのだと思っています。

パートナーシップ(結婚)というのは、親子関係とはまた違った意味で
自分を成長させてくれる相手との関係性だし、
そこに愛情というものが複雑にからんでくるので、一筋縄ではいかない、永遠のテーマであり、人間学の最も濃い部分なのではないかとさえ思うのです。

幸せということも、成功ということも決して画一的なものじゃないはず。

占いは傾向を知って対策を立てるという一面もありますが、
あらかじめ予想されることへの対策という目線から、
もっと大きな視点で考えたときに、

自分を役に立てたい、そのためにどのように役に立てるのか自分を知りたい、と思うのは愛でしょう?

相手のことをもっと理解したい、わかりたい、 わかり合いたいという気持ち。それは愛でしょう?

自分さえ良ければいい、自分さえ成功すればいいのじゃなくて、
自分だけが幸せになるってことはありえない、ってわかっていくこと、
それも愛でしょう?

そういう視点を得ていけるものの一つがこういう人間学に関わっている
占術を学んでいくことだと思っているのです。

最初は未来への不安や、人生をうまく運びたい、と思って先のことを
知りたいとおもうかもしれないけれど、

そういうの、ほんとうにほんとうに自分を知って、自分らしく生きていたなら(それを宿命を消化するという言い方をします)、雨の日も嵐の日も自分らしく生きていけることになるんです!!

佳きお天気の日ばかりはないです。

自然というのはそういうものですよね。

雪も積もれば、雪崩もあるし、台風もやってきます。

どんなお天気の日も
楽しみにしていた遠足の日に限って嵐がやってきたとしても、

すべての起こることに対して自分自身を信頼できるようになっていきます。
自分が自分らしく生きるってことだけで完璧だっていうこと。
だから、相手もその人らしく生きるってことだけで完璧だっていうこと。

そういうことを理解していくこと。
そういう自分になっていくことについての理解を深めていけるようになることこそが算命学を学ぶということであり、私は算命学を通してそれを伝えていきたいな~と改めて感じたのでした。

さて、次回5月18日(木曜日)は、最終回

「天中殺」についてです。

内容については追ってお知らせしますね~~

是非最終回、来てください!!

天中殺についてもいろいろと誤解がありますからね。

天中殺を知ることは自分を「空」(無)にすることを学ぶことでもあると、わたしは考えています。

自分を生きることができていれば、ちゃんとちゃんと宿命を消化していれば、天中殺だって怖くないんです!!

天中殺を活かすことすらできるんです。

その極意をお話しようと思います^^

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