高橋巌先生から学ぶこと(防備録)

日本におけるシュタイナー研究の第一人者として知られる高橋巌先生。

私にとっては、シュタイナーの本の翻訳をされているので、お名前は存じ上げているのですが・・・という存在でした。

しばらく前に、かなり古い先生の講演録を読ませていただく機会がありました。

そのお話がとても素晴らしかったのです。

紡がれている言葉がとてもすてきで、味わい深いので、紹介したいと思います。

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いわば暗闇の中を手探りで歩いている私たちの心にもっと認識の光が輝くようになるためには、教育、もしくは自己教育が必要になってきます。

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・・・・・・・・・・・(中略)
教育と同時に第三に「修行」ということが問題になってきます。
私たちは生涯、何らかの意味で自分を教育していく必要があるのかもしれませんけれども、しかし、成人した後では、自分の魂の在り方を新しく作り変えるために、教育の方向とは別に、修行ということが色々な形で問題にならざるを得ないと思うのです。
「修行」という言い方は、宗教臭い表現ですし、何か禁欲的な響きもあるので、言葉としては適切でないかもしれませんが、しかし宗教に限らず、ある特定の道を見出した場合に、その道の目標に向かって障害を乗り越えて歩いて行く態度を、広い意味ですべて「修行」と言えます。
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ですからその場合のシュタイナーの目標も、同じように地上の現実ではなく、その背後にある別な現実です。
そのような意味で、治療と教育と修行とは、同一関連の下に考察すべきものです。
つまり、肉体の次元から精神の次元への方向性を考えるときに、治療と教育と修行とは、同じ道の上に現れてきます。

高橋巌「ユングとシュタイナー」より

高橋巌先生、昭和のはじめのお生まれなので、すでに90歳をすぎていらっしゃいますが、とてもお元気で講座をされています。

一度講座を受講したいと思い、昨日でかけてきました。

二時間の講義の間、ずっとお水さえも口にされず(会場が会場内での飲食を禁じていました)、休憩なしでお話をされる姿にまず感動。
私のような若輩ものが、身体がだるいなどといっている場合じゃないな~と、
(これは根性論ではなく)、気合いというか、なんというか、事(使命)への思いが全然たりないと思いました。

シュタイナーは、難しいな~という印象があったのに、高橋先生にお会いしたい、という思いだけで参加したので、初めて参加して途中で眠くなったらどうしましょう、と内心ひやひやしていたのですが、いやいや眠くなるどころか、どんどん引き込まれていきました。

ひとつひとつ丁寧に言葉を紡ぎ、どのように考えていったらいいか、どのように捉えたら良いのか、優しく、けれど説得力のあるお話を聞いて帰ってきて、再度上に紹介した文章を読んでみると、まるで高橋先生が目の前でお話しくださっているように読めるから不思議です。

ちょうど内容がシュタイナーが1910年にベルンで行ったマタイ福音書講義12講の第一回目でした。
興味深い内容なのでこれからじっくり一年?二年?くらいかけて学んでいきたいな~と思っています。

そして先生の「教える」という姿勢から私が学ばせていただくことがきっとたくさんあるのではないか、というふうに感じています。

とてもうれしいご縁をいただきました^^

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