月別アーカイブ: 2024年11月

秘仏について

去る日、京都に行く機会を得た折に、丹後まで足をのばして如意寺まで。
50年ぶりのご開帳となっていたご本尊の秘仏「薬師如来像」と、
快慶作の地蔵菩薩像を拝観した。

そして六波羅蜜寺で12年に一度、辰の年にだけご開帳される
秘仏であるご本尊「十一面観音菩薩さま」
11月3日から12月5日までご開帳中。
日帰りで京都の六波羅蜜寺さんに参じた。
ずっと春から待ちわびていたのだ。

ゆえあって非公開とされている仏像を「秘仏」という。
そのお姿を見せてくださる機会がときおり訪れる。
ふだん、秘仏と参拝者の間にあって視界を遮断しているお厨子の「扉」や「帳」を開くことから、「ご開帳」とか「ご開扉」と呼んでいる。
ご開帳のタイミングも何十年にもわたるものから、毎月の縁日に開かれるものまでさまざまだ。

最近は博物館で仏像を「観る」ことができる機会が増えている。
しかもとても貴重な仏像が一同に会することも多く、そういった展示では
より近くで、より細部まで、はっきりと「観る」ことができる。
時折、もっとはっきりと細部まで見ようと双眼鏡で観ている方もいらっしゃる。
お厨子の中にいらっしゃるときには「観る」ことができないような、
違う角度から見ることができるし、360度ぐるりとじっくり見る事ができる展示も増えて、実際にわたしもそれを楽しんできた。
最近足を運んだ、東博での神護寺展は展示として素晴らしかったと思う。

だけど、今回、六波羅蜜寺さんで秘仏とお会いできたとき、
博物館で『観る』仏像と、 お寺の(本来の家)の中にいらっしゃる仏さまに
『会う』のには大きな違いがあるなあ、としみじみ感じた。

博物館で展示される仏像は、信仰という場にはいらっしゃらない。
あくまで歴史とか美術的、造形的な資料や作品としてそこにある意味合いが強いように思う。
もちろん、そうとはいっても、仏像を前にしたとき、おもわず手を合わせたくなってしまう気持ちはある。
 
けれども、お寺のお堂で仏さまに「会う」ということには、かなわないのだ。


薄暗いお堂の奥で、
お厨子のなかで、
仏さまは
静かに
わたしたち訪れる人(会いに行く人)を
『待っている』

薄暗い中、
遠目で、
お厨子の扉は開かれたけれど、その上部に隠れて頭の上のほうまではよく見えない。
お焼香の順番はあっという間の、まさに、瞬間で、
格子の隙間から張り付くようにそのお姿を見て名残を惜しんだ。

想像以上におおきな仏さま(262センチ)で、厚みがあって、重量感があるけれど、なごやかで穏やかな丸みも感じる。
優しいまなざし。

もっとよくみたい!!
はっきり、くっきりさせたい。
なにもかも明確にしたい。わかりたい。

と思う心がある。

でもその一方で、

わからないことをわからないままに、
頭の理解を急がずに、そのことに身を委ねてきたからこそ、
真の理解がやってくるのだということも経験してわかるようになった。

わからないことを無理にわかろうとしなくていい
曖昧なお姿は曖昧なままでいい

今回のご開帳に参じたわたしと
待っていてくださった仏さまがいる


その出会い以上になにがいるのか、なにもいらない。

それこそが最高に幸せな時間だったな~と
つくづくと感じた1日でした。

<お知らせ>
現在募集中の2025年算命学イヤーリーディングについて
これから申し込みをされる方は12月26日以降の鑑定となります。
12月26日以降の日程で
①対面かzoomか
②ご希望の日程と午前か午後かを第3希望まで
お知らせください。


 




 


田中一村さん考察


田中一村展~奄美の光 魂の絵画~を見てきました。

300点にも及ぶ大回顧展です。


わずか6~7歳で絵の才能を発揮し、神童と呼ばれるも幾たびもの苦難に見舞われ、金銭的にも苦労が続きます。
それでも表現することをやめず、あきらめず、納得いく絵を描くために挑戦し続けます。
光と影の描写がほんとうに素晴らしかったので、
田中一村さんはどのような人なんだろう、と、ひもといてみたくなりました。

算命学で考察してみました。

<田中一村考察>

宿命に納音をお持ちの方。
今回はこの納音の宿命を主に考察します。

納音というのは、真逆を自分の中に所有していることになります。

たとえば、

大胆さや豪放さの裏には小心さや繊細さがあり、
非常に冷静で理性的な眼と情熱の塊のような心を持ち
非常に明るく社交的な面と、ひとり閉じこもり他者を寄せ付けないような孤独
どこまでも優しく、どこまでも厳しい
表に出たい自分と隠れていたい自分
正義と悪

というように・・・

常に自分の内側で
まるで火と水がせめぎあっているかのような葛藤をかかえます。

光と影、そのバランスが難しい・・・

しかし、表現者としては、観たものの光の部分だけでなく、裏側に隠れて秘した部分をも同時に描くことができるので、そのものが持つ光や美しさなどがより鮮明に際立つことになります。
ものや人の外面的な部分だけでなく、本質にたどりつくことができ、内面性や隠れた部分、秘されたものがわかるので、それをを表現できるのです。
あるいは、裏と表、光と影を描かせたら、納音がない人よりももっと的確に繊細に表現ができる、とも言えるでしょう。

チョット話は脱線しますが、
スタンダールやヘルマンヘッセという作家をご存じでしょうか?
スタンダールには「赤と黒」という代表作がありますが、自分の出世のために軍人と僧侶という真逆の仕事をもったがゆえに破滅していくという話です。
ヘッセには「デミアン」や「荒野の狼」「知と愛」などの作品があり、どれも人間の二面性を描いています。
カミュの「異邦人」もそうですね。
みな納音の宿命の持ち主。
そういう世界を描かせたら納音のある人にかなわないのです。

また、パスツールやアインシュタイン、エジソンも納音の宿命なんです!!
それまでの社会(世の中)の間違いを正す、ひっくり返すことができるのです。
だれも思いつかないようなことができたり、考えられたり、描けたり、、、いわゆる、天才!になれる(可能性のある)人たちなんですね。

もしかしたら、今読んでくださっているあなた!にも納音があるかもしれませんよ。
活かしていますか?(宿命にあるものは活かさないとね^^)

一村の絵には、
自然の本質を捉えようとして、ひたすらに表現を追求している姿があり、
見つめる眼の鋭さ、冷静さ、緻密さ←水の質と、

まっすぐに自己を表現しようとしてほとばしる情熱←火の質が
わたしたちの胸の深いところをつかんで離さないのだと思うのです。

大胆な構図に繊細な筆づかい、
荒々しさや力強さと同時にとても優しくあたたかい目線。
まさに納音そのものです。


一村が応募したふたつの作品のうち、ひとつ(秋晴れ)は落選し、
もう一つは入選。(ここでも光と影)
けれど、秋晴れが落選したことに納得できず、せっかくのもう一つの入選を辞退してしまう。(そのもう一つの入選した作品は行方知れずとありました・・・)
また別の時には、落選した作品を棄ててしまうことも。

一村の持つ宿命の星の中には
少年のようにピュアな自尊心の持ち主、という星もありますから、
自尊心、自負心が許さなかったのでしょう。

次のようなエピソードのある作品もありました。
7歳のときに描いた墨画に父親が筆を加えたことが気に入らず、
その部分を破いたために補修してあるのです。(笑´∀`)

自身の人生にも光と影が常につきまとっていました。

神童と呼ばれるほどの才能を6歳から発揮した一村。
ちょうど6歳から始まる10年ごとの大きな運の流れは、
6歳から25歳までの大運天中殺。
画家として、鮮烈なデビューを果たし、一気にその才能を花開かせたかのように思えますが、27歳ころまでに次々と家族を亡くし、援助者を失っていきます。(光と影)
その後の不遇の時代へ。

人生の流れが変わるのは46歳から

50歳で住み慣れた千葉を離れ,独り奄美へと移ります。
0(ゼロ)からの出発のようなところです。

織物工場で染色工として働き、お金を貯め、生活を切り詰め、
奄美の大自然の生命力あふれる植物や虫、鳥たちを、海を、空を、光を
ただひたすらに、一途に、描き続けます。


暗い茂みのその暗さも丁寧に描きこまれているからこそ、
その隙間から見える光が神々しいまでに輝きを放つのだと思いました。


どんなちいさな作品にも、どんな頼まれ仕事にも手を抜くことがない、
絵に対するひたむきさが胸をうちます。(一村のもつ星の特徴のひとつです)

「アダンの海辺」

納得できる作品を描けたと自負し、手紙にこのように書いていました。

「これは100万円でも売れません。
これはわたしの命を削った絵で、閻魔大王への土産品なのだから」と。

手紙ではこうも語っていました。
「サインをするのに5秒もかかりはしないけれど、そのサインさえも最後にいれることができないほどにすべてのエネルギーを注ぎきって、もう余力は残っていなかった」と。
そういう仕事の仕方はまさに命を削った、わけですが、
そこまでに命さえも捧げられるものに出逢った一村は別の意味で幸せなことだとも思います。(算命学では世間や一般常識的なことにあてはめて幸、不幸を論じることはありません。その人にとってなにが幸せか、は人それぞれ違う物差しだからです。)


ひたすらに純粋で、狂おしいほどに一途に、描くことへの情熱があふれ出していて、それが奄美の大自然の命そのもののチカラとなり、みるわたしを勇気づけてくれるのだと思いました。
そこには一村が一生を捧げて独学で追い求めてきた技術力や観察眼が本質を描きだすことのできる確かなチカラとなっているのですね。


我が人生の最後まで絵を描き続けられたこと。
感謝はとても言葉では尽くせない。
ありがとうございました。』


と一村は書状に書いていました。

これだけのものを只ひたすらに描き続けたのに、
生前評価されることはほとんどなかった一村。
画材を買うお金にも窮していました。(光と影)
没後、このように脚光を浴びていること、どのように思っているでしょうか・・・

社会の評価なんて所詮社会事じゃないか、とわたしの本質の部分では思うのですが、やはり、できることなら生前に報われて欲しかった!
せつない思いもよぎります。人間だもの。

未完となった絵はなにを伝えようとしていたのでしょうか。

この展覧会の前日まで初めての作品が見つかり続けたようです。
個人蔵の作品もたくさんありましたから、展覧会にあたり、多くの方々がご協力くださったんだな~と、みなさまの思いにも胸を熱くしました。

素晴らしい展覧会でした。

最後まで読んでくださったみなさまも、
お付き合いくださりありがとうございました♡








2025年愛賀真琴の算命学イヤーリーディング&風水ミニコンサル2025募集開始します

みなさん、こんにちは

大変お待たせいたしました!!

2025年の算命学イヤーリーディング募集を開始いたします。

2025年は新しい環境に身を投じる方々も多いのではないかと思います。

そこで!!!

2025年は
運氣の入口である「玄関」にフォーカスして、
風水のミニコンサルも募集いたします。
ご興味のある方は風水ミニコンサルも是非お申し込みくださいね^^


2025年愛賀真琴の算命学イヤーリーディング

① 40分コース 9000円
② 60分コース 12000円

③ 70分コース 15000円 (30分通常鑑定+40分イヤーリーディング)
***真琴の算命学個人セッションが初めての方は③のみの選択となります。

★★★お申し込みの際に以下についてお知らせください★★★

① お名前、生年月日、ご希望のコース

② A:対面セッション
  B:zoomセッション
 
   のどちらかを選択してください。

③ 12月1日から2025年1月15日までの間(12月29日から
  1月4日までお休みです)のセッションご希望日及び時間を
  第3希望までお知らせください。


★ご夫婦、ご家族、ご友人などお二人でご一緒に申し込みされる場合は
 それぞれに500円引きをさせていただきます^^
 是非ご利用ください!

★★★件名に「2025イヤーリーディング」と必ず書いてください。

 <風水ミニコンサルについて>

運氣の入口である大切な玄関を整えて、新しい一年を始めませんか?

お申し込み後の流れ

① あなたの玄関の外側と内側の写真と住まい全体の間取り図(手書きでもかまいませんが縮尺は正しくお願いします)をメールで送っていただきます。
② コンテンポラリー風水の観点から玄関をどのように整えると良いかについてのアドバイスをいたします。(メールまたはzoomのどちらかを選択)
③ 質疑応答一往復(メール)
④ フォーローアップ一回(メールまたはZoomのいずれかを選択

 (2か月以内に整えた後の玄関の写真を送っていただき、フォローアップいたします)


料金 3300円

イヤーリーディングとセットでお申し込みの場合は3000円です。

★★★ 件名に「風水ミニコンサル2025」を必ず書いてください。 

 


イヤーリーディング、風水ミニコンサルのいずれもお問い合わせ、お申し込みは以下まで↓
お待ちしていますね♡

makotoaiga@gmail.com

冬の旅を聴いて

去る11月2日、
 マリア·ジョアン·ピリス(ピアノ)と
 マティアス·ゲルネ(バリトン)の「冬の旅」(シューベルト)を
サントリーホールで聴きました。

帰宅して、お風呂にはいって、真夜中なのに、眠れない。
じわじわじわじわと奥の方に沁みてきて響いてきて胸が熱くなる。

真夜中にFBに防備録としてあげたものです。


防備録

冬の旅は、暗くて好きじゃないと言う声をよく聞く。
失恋した若者が絶望してさすらいの旅を続けていくという内容だから、全体を通じて、暗く絶望的な雰囲気に包まれた音楽だという認識はわたしにもあった。

けれど、
2人の冬の旅は、まるで違って聴こえた。繊細で美しいピリスのピアノ。
ゲルネのバリトンは、ピリスの繊細な音を壊さない。
とても甘く優しく、ときに切ない。ゲルネはピリスのために歌い、ピリスもゲルネのために奏でているようにさえ感じられる。
まるで鳥たちが愛を交わし合って歌っているかのように 

歌曲のピアノは伴奏とか、脇役という位置づけになるのかもしれないけれど、
ピリスの演奏は決して伴奏でも、脇役でもない。

どちらか一方だけが主役なのではなく、
陰になり、陽になり、また陽になり、陰になり
二人の間に魂の火花が散っているかのように思える。

愛は相手に迎合するわけじゃない。
最大の信頼とリスペクトを持った上で、突然噛みつくこともあるだろう。
ゲルネが歌い、ピリスが奏で、
私達が聴く。
外は雨

あの時間と空間の縦と横が織りなした
ほんとうに「一夜限りの愛の旅」だとおもえた。


出逢えてほんとうに良かった

会場はスタンディングオベーションに包まれた。

思わず、帰りの電車から感動を魂の友に伝えると
「愛賀真琴さんの愛はどんなふうに振動しているのでしょう」と返答が来た。
また別の友は「瞑想と音楽って、とても通ずるものがあるような気がするなあ」と言う。

わたしのなかで、ゆっくりと発酵させたい。

会場のあちこちで一緒に感動の時間を過ごした友たち
一緒には聴かなかったけれど、胸の高鳴りを聞いてくれた友たち

ありがとう♡