カテゴリー別アーカイブ: 好きなもの

宮沢賢治を読む

宮沢賢治といえば、「童話作家」というのがこれまでのわたしの賢治の認識。
好きなのは「風の又三郎」

賢治が30歳のときに講義した 「農民芸術概論綱要」 ご存じですか?

わたしはこれを読んで
改めて賢治という人を知りたくなった、とても激しくゆさぶられた一冊

まず序論で、打ち抜かれてしまいました。
序論は全文を紹介しますね^^


おれたちはみな農民である ずいぶん忙しく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見つけたい
われらの古い師父たちの中にはそういう人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直感の一致に於いて論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団 社会 宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教えた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福をたずねよう
求道すでに道である

Miyazawa Kenji.jpg

そしてさらにさらに続く賢治のコトバ

独特のリズムをもった語り口が、身体の奧にしみいるように振動する。
とても好きなフレーズがあるのでこれも紹介しますね^^


風とゆききし 雲からエネルギーをとれ

まづ もろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばろう

巨きな人生劇場は時間の軸を移動して不滅の四次の芸術をなす
おお朋だちよ 君は行くべく やがてはすべて行くであろう

われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である・・・

われらの前途は輝きながら険峻である
険峻のその度ごとに四次芸術は巨大さと深さとを加える

永久の未完成これ完成である


理解を了えばわれらはかかる論をも棄てる
畢竟ここには宮沢賢治1926年のその考えがあるのみである



響いた方は是非音読をおすすめします^^

そして先日岩手の宮沢賢治記念館を訪ねました。
旅の話はまた次回に。






紫陽花を愛でる 鎌倉にて

毎年恒例、夫と鎌倉紫陽花散歩
平日の雨模様にもかかわらず、たくさんの人でした。
去年と違ったのは、外国人が増えていたこと!!

雨に濡れてみずみずしい神々しさをはなっていました。
紫陽花たちが自分の美しさを誇示したいと思っているわけではないし、
ただありのままに、そこに咲いているのだけれど、
たくさんの人に愛でられて、うれしそうに感じるし、
たくさんの人を幸せな気持ちにさせてくれてありがとうって言いたくなる。




手で考え足で思う 河井寛次郎記念館へ 

昨年のこと、河井寛次郎さんの本と出逢った。


「手考足思」
手で考え、足で思う。
河井さんの実践哲学、が表現されていた。

『驚いている自分に驚いている自分』とは河井さんのコトバだけれど、
この本はまさにそういう本だ。

「火の誓い」というエッセイの中の序で河井さんはこう語っている。

『人は物の最後の効果にだけ熱心になりがちである。
 そして
 物からは最後の結果に打たれるものだと錯誤しがちである。
 しかし実は、
 直接に物とは縁遠い背後のものに一番打たれているのだ
 ということのこれは報告でもある。』



文章を読むとき、その行間に込められている思いや
人の言葉の背後にあるもの
美術館や博物館で出逢う作品の奥にあるものに触れたいと思う。

ものごとの奧が知りたい、
この世界の真実が知りたい、
と、求めてやまないものがある。
そして、
その道は終わりがないのだろうと思えていたとき、

『ここに集めた章句は
 色々なものの裡に隠されている背後のものを求めての歩みの一部だ』
と書かれた、その本に出逢えました。

河井さんの作陶や文章のなかには、とてもはげしい、というか、熱量を感じるものが数多くあります。

たとえば、

手馴れた仕事や目星の附いた仕事に自分を嵌め込んでいくようなことは
恥ずかしい事だ。
繰り返しの仕事や焼き直しの仕事は恥ずかしい事だ。
附けられた道を歩くだけで、新しい道を開くことに不精することは
恥ずかしいことだ。
自分は何処まで行けるか。
もっと気を附けていえば、人は何処まで行き得るか。
行ける処迄行ってみることは人として甲斐あることだ。

と。
これは、その人の精進を歓び、讃え、
さらにはそうしてうみだされたものがその人だけの成功であるだけではなく、
遍満する無数の生命の成功であり、
かつてあったいのち、今あるいのち、次に来るいのち、
それがことごとくその精進から祝福を受けるのだと、言う。

河井さんという方は、
ほんとうに深く、
人間そのもの、また、人生そのものを讃えて
日々を暮らしていらっしゃったのだ、と
胸が熱くなりながら、そのコトバをかみしめる。

またあるときには、棟方志功さん、その仕事について
多くのコトバを残されている。

『君は君の身体から「私」をひきさったのではないかと。
小さい私。
よごれた私。
間違い私。
ごまかし私。
一切の「私」を引き去ったあとに残るものは何か。
君はこういうことを示してくれてもいる。。。』

棟方志功さんの仕事に対する姿勢や作法にふれた章は、
形を変えた「手考足思」
そして、その文章に触れた人は、きっとわたしのように、
改めて棟方志功さんの仕事に触れたいと、こころから思ったであろう。

河井さんのお嬢さんである須也子さんがこう語っている。

『借りている生命を、なんらかのかたちで、人々や物の恩恵に応えようとした父だと思わないではいられない。
もらった生命を思い切り使わせてもらい、初心の志を奉じ、無我夢中で仕事に励み、無位無冠のまま、寸刻を惜しみ「ものつくり」に喜々といそしみ、まさに
不合理や不条理さえ大調和の世界と観じ、仕事に仕え、常に歓びを人と共に分かち、ひたすら美の発見に全生命を捧げやまなかった。』

だからこそ、ずっと訪ねたい場所だった、京都の河井寛次郎記念館
数々の情熱的な作品を生み出された創作の場であると同時に、素であることを尊び、すべてに丁寧に愛情を込めた、しずかな、とてもしずかなこころを発見する暮らしの場であった。

家の中を歩いているうちに不思議な涙が頬をつたった。

血液がからだのすみずみにまで流れていくのがありありとわかるのだ。
なんともいえないぬくもりがからだをつつむ。
河井さんが使われていた書斎の机。椅子にすわってみる。
窓から見える空が沁みる。

仏様も花器もそこにいけられた花も、縄で編んだつるべや、いろりの鉄瓶。
庭の片隅のドクダミの群生までもが全体と調和しているように見えた。
藤棚の下の椅子に座って日がな一日本を読んだりお茶をのんだりしたくなる。

それはそれは温かく、ぬくみがある。
どこからながめても、美しくて、おろそかにされているものがないのに、
その居心地の良さといったら!!
お行儀良くしてなくてはいけないなんて微塵も感じなくて、やすらぎ、くつろげる空間。

そのときからだが教えてくれた。

ああ、この感覚。
すべてに意識が行き渡っているってこういうことなんだな~~と。

頭ではなんとなく理解できる。
いや、理解できるような気がする。
だけど実感として、確信をもって、腑に落ちてなかったことにこたえをもらえたように思った。

河井寛次郎記念館

人間国宝や文化勲章に推挙されても応じることなく、
一陶工として、独自の陶芸美の世界を切り開いただけでなく、
焼き物の枠を超えた無私普遍の自在な造形世界にみずからを燃焼させた、と
言われる河井寛次郎さん

背後のものを求める探求者にとって、著書にも深く、深く学び、感じるものが
ほんとうにたくさんあった、忘れ得ない出逢いのひとつ。
あらためて覚え書きの今日。

みなさんも行かれたら是非感想を聞かせてくださいね。


玉三郎さん特別舞踊公演に感動

MOA美術館創立40周年記念
熱海座 能楽堂で行われた
板東玉三郎さん特別舞踊公演の千秋楽を観にいってきました^^

芸術の秋
探求の秋
玉三郎さまの特別舞踊公演を初めて観させていただきました

もーもーもー(牛ではありません)
感動、感動、大感動!!! 

重要無形文化財である玉三郎さんの

立ち姿
歩く姿
座り方
廻り方
足の運び方
重心のかけ方

首と名のつくすべての箇所に

目が釘付けになりました!!

円熟した芸の、
ひとつひとつの動作に、
これまで積み重ねてこられた、ものすごい深みや重みを感じるのに

真逆のごとく、
削ぎ落として、削ぎ落として、削ぎ落としつくした軽さがありました。
無駄な力がはいってない、ってこういうことなんだなあ!!!!!
って、
理屈とかじゃなく、わたしにもわかるほどの、軽やかさなのです。

なんて、美しく
なんて、やわらかく
なんと見事なことよ

語彙がたりないせいで素晴らしさが伝えきれなくてもどかしいですが。。
最初の口上で、魂がわしづかみにされました。

舞台で聴く肉声はすごいです。
しかも舞台正面の席という、ありがたさでした。

一流の方というのは、ほんとうに謙虚で、
その謙虚さは
言葉のはしはしに滲み出てくるものなのだな~と実感しました。

興奮さめやらず、夜もなかなか寝付けない、ということを
まざまざと体験した一日でした。

すべての縁起に感謝です!

うれしい報告がたくさんきてます!風水オンライン講座

昨日、一昨日とオンラインの風水講座でした

一日目でエネルギーの流れや、パワーの座について学んで、
これはやらなくっちゃ!!と
早速ベッドの位置を動かした参加者さまがいらっしゃいました。

講座でさせていただいた話を聞いて
思い当たることや、ぴんときたものがあったそうなんです。

それまで2時間おきくらいに目覚めてしまっていたのが、
なんと!!
気持ちよく、よく眠れたとのこと。

善は急げです(笑´∀`)
こういう報告は、ほんとうれしいですね^^

2日目の、バグア(八卦)を使った実践編でも、みなさんから質問の嵐(笑)

家は、自分の最奥と、社会(外)のあわい(間)にあって、繋いでいるものだから、自分の今の状態がよく現れています。
そこにちゃんと向き合ってみると、現状認識が深まりますし、
対処の仕方もおのずと見えてきます。
重要な場所である、玄関や寝室についてや
浴室やトイレといった水気の多い場所
鏡の使い方、色の効用、バランスの取り方、
自分の現在のテーマにあたるエリアの考え方
など、たっぷりの情報とともに実践的に学んでいけます。

自分の今を知るツールはさまざまありますが、
風水もパワフルなツールのひとつだと、力強く思います!

そして、二日目終了後、
慌てず、急がず、少しずつ始めてくださいとアドバイスしたのですが、
みなさん、いてもたってもいられなかったのか、
(たいていはそうなるのですが・・・)
即、実践されて
一人の方は、興奮して朝の4時まで、色々と模様替えをしていたそうで
アフターの写真を15枚も!!送ってくださいました。

ほかにもさっそくに変化があった報告をしてくださっているので、
ちょっとまとめて
明日にでもまた紹介させてくださいね^^


来週22日はライブでのワンデー風水基礎講座です。
お申し込みもまだ受け付けていますので、
よりよい変化を起こしたい方、どうぞいらしてくださいね^^

お待ちしています♡