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京都の河井寛次郎記念館へ 

昨年のこと、河井寛次郎さんの本と出逢った。


「手考足思」
手で考え、足で思う。
河井さんの実践哲学、が表現されていた。

『驚いている自分に驚いている自分』とは河井さんのコトバだけれど、
この本はまさにそういう本だ。

「火の誓い」というエッセイの中の序で河井さんはこう語っている。

『人は物の最後の効果にだけ熱心になりがちである。
そして物からは最後の結果に打たれるものだと錯誤しがちである。
しかし実は、
直接に物とは縁遠い背後のものに一番打たれているのだということの
これは報告でもある。』



文章を読むとき、その行間に込められている思いや
人の言葉の背後にあるもの
美術館や博物館で出逢う作品の奥にあるものに触れたいと思う。

ものごとの奧が知りたい、
この世界の真実が知りたい、
と、求めてやまないものがある。
そして、
その道は終わりがないのだろうと思えていたとき、

『ここに集めた章句は色々なものの裡に隠されている背後のものを求めての歩みの一部だ』と書かれた、その本に出逢えました。

河井さんの作陶や文章のなかには、とてもはげしい、というか、熱量を感じるものが数多くあります。

たとえば、

手馴れた仕事や目星の附いた仕事に自分を嵌め込んでいくようなことは
恥ずかしい事だ。
繰り返しの仕事や焼き直しの仕事は恥ずかしい事だ。
附けられた道を歩くだけで、新しい道を開くことに不精することは
恥ずかしいことだ。
自分は何処まで行けるか。
もっと気を附けていえば、人は何処まで行き得るか。
行ける処迄行ってみることは人として甲斐あることだ。

と、これは、その人の精進を歓び、讃え、さらにはそうしてうみだされたものがその人だけの成功であるだけではなく、遍満する無数の生命の成功であり、かつてあったいのち、今あるいのち、次に来るいのち、それがことごとくその精進から祝福を受けるのだと、言う。

河井さんという方は、ほんとうに深く、人間そのもの、また人生そのものを讃えて日々を暮らしていらっしゃったのだと胸が熱くなりながら、そのコトバをかみしめる。

またあるときには、棟方志功さん、その仕事について多くのコトバを残されている。

『君は君の身体から「私」をひきさったのではないかと。
小さい私。
よごれた私。
間違い私。
ごまかし私。
一切の「私」を引き去ったあとに残るものは何か。
君はこういうことを示してくれてもいる。。。』

棟方志功さんの仕事に対する姿勢や作法にふれた章は、
形を変えた「手考足思」
そして、その文章に触れた人は、きっとわたしのように、
改めて棟方志功さんの仕事に触れたいと、こころから思ったであろう。

河井さんのお嬢さんである須也子さんがこう語っている。

『借りている生命を、なんらかのかたちで、人々や物の恩恵に応えようとした父だと思わないではいられない。
もらった生命を思い切り使わせてもらい、初心の志を奉じ、無我夢中で仕事に励み、無位無冠のまま、寸刻を惜しみ「ものつくり」に喜々といそしみ、まさに
不合理や不条理さえ大調和の世界と観じ、仕事に仕え、常に歓びを人と共に分かち、ひたすら美の発見に全生命を捧げやまなかった。』

だからこそ、ずっと訪ねたい場所だった、京都の河井寛次郎記念館
数々の情熱的な作品を生み出された創作の場であると同時に、素であることを尊び、すべてに丁寧に愛情を込めた、しずかな、とてもしずかなこころを発見する暮らしの場であった。

家の中を歩いているうちに不思議な涙が頬をつたった。

血液がからだのすみずみにまで流れていくのがありありとわかるのだ。
なんともいえないぬくもりがからだをつつむ。
河井さんが使われていた書斎の机。椅子にすわってみる。
窓から見える空が沁みる。

仏様も花器もそこにいけられた花も、縄で編んだつるべや、いろりの鉄瓶。
庭の片隅のドクダミの群生までもが全体と調和しているように見えた。
藤棚の下の椅子に座って日がな一日本を読んだりお茶をのんだりしたくなる。

それはそれは温かく、ぬくみがある。
どこからながめても、美しくて、おろそかにされているものがないのに、
その居心地の良さといったら!!
お行儀良くしてなくてはいけないなんて微塵も感じなくて、やすらぎ、くつろげる空間。

そのときからだが教えてくれた。

ああ、この感覚。
すべてに意識が行き渡っているってこういうことなんだな~~と。

頭ではなんとなく理解できる。
いや、理解できるような気がする。
だけど実感として、確信をもって、腑に落ちてなかったことにこたえをもらえたように思った。

河井寛次郎記念館

人間国宝や文化勲章に推挙されても応じることなく、
一陶工として、独自の陶芸美の世界を切り開いただけでなく、
焼き物の枠を超えた無私普遍の自在な造形世界にみずからを燃焼させた、と
言われる河井寛次郎さん

背後のものを求める探求者にとって、著書にも深く、深く学び、感じるものが
ほんとうにたくさんあった、忘れ得ない出逢いのひとつ。
あらためて覚え書きの今日。

みなさんも行かれたら是非感想を聞かせてくださいね。


玉三郎さん特別舞踊公演に感動

MOA美術館創立40周年記念
熱海座 能楽堂で行われた
板東玉三郎さん特別舞踊公演の千秋楽を観にいってきました^^

芸術の秋
探求の秋
玉三郎さまの特別舞踊公演を初めて観させていただきました

もーもーもー(牛ではありません)
感動、感動、大感動!!! 

重要無形文化財である玉三郎さんの

立ち姿
歩く姿
座り方
廻り方
足の運び方
重心のかけ方

首と名のつくすべての箇所に

目が釘付けになりました!!

円熟した芸の、
ひとつひとつの動作に、
これまで積み重ねてこられた、ものすごい深みや重みを感じるのに

真逆のごとく、
削ぎ落として、削ぎ落として、削ぎ落としつくした軽さがありました。
無駄な力がはいってない、ってこういうことなんだなあ!!!!!
って、
理屈とかじゃなく、わたしにもわかるほどの、軽やかさなのです。

なんて、美しく
なんて、やわらかく
なんと見事なことよ

語彙がたりないせいで素晴らしさが伝えきれなくてもどかしいですが。。
最初の口上で、魂がわしづかみにされました。

舞台で聴く肉声はすごいです。
しかも舞台正面の席という、ありがたさでした。

一流の方というのは、ほんとうに謙虚で、
その謙虚さは
言葉のはしはしに滲み出てくるものなのだな~と実感しました。

興奮さめやらず、夜もなかなか寝付けない、ということを
まざまざと体験した一日でした。

すべての縁起に感謝です!

羽生結弦さんのアイスショーに行ってきました!!

横浜ぴあアリーナで開催された、羽生結弦さんのプロ転向後初の!
しかも、
これまた初の!
ワンマンアイスショーに行ってきました。

アリーナ席一席のみを抽選にかけたら、なんと、奇跡的に当たりました。

いいもの見たぁぁぁぁ!!!っていうひとことです♡

写真や動画撮影は禁止なので、これは前日にメディアで撮られた写真です

フィギュアスケートは昔から好きで見てたけど、
なまは
なまは
すごかった

90分のプログラムをひとりでやりきる体力を
(しかも2日続けてだよ)
養ってきた、と語っていたけれど、
まさに羽生くん自身が「プロのアスリートとして」と言っているそのまま。
アスリートでした。

天賦の才能に加えてどれだけの手入れと努力を積み重ねて来たのだろうか・・・
自身を磨き続ける、進化し続けようとする姿がそこにありました。

氷と音楽と一体化したからだが自在に舞っていく。

奥の奥から伸ばされた手は、
きっと3階で立ち見をしていたひとたちにも届いて、
みんなのハートに届いたに違いない。

なんども鳥肌が立った。

シューという静かで美しい、氷を削る音までが調べのように聞こえてくる。。

自身で振り付けたという、新プログラム「夢の終わりに」

氷の上だということを忘れてしまうような、
なんというか、不思議な世界にいってしまったような、
幻想的で身震いするような美しい舞だった。


おとなりのおねーさんは、最初から最後まで泣いていたけれど

気持ち、わかる。

興奮したままぴあアリーナを動けず

わたしはいま、ふぬけです(笑) と、友にメールを送った。

ふらふらと、ぴあアリーナ二階のカフェにはいり
11月限定のパンケーキを食べて
ようやく現実に戻ってきた、わたしでした。(笑´∀`)

11月限定のパンケーキ

シナモンとジンジャー、ラ・フランス
大人な味わい でした。

帰り道の満月を三日後に迎える月がきれいでした。



羽生結弦さんのアイスショーにいってきます

羽生結弦さんがプロ転向後初となる、アイスショー

全席抽選とあったので、
( おそらく、、だけど、先着順とかではなく、できるだけ公平にいろんな人にチャンスがあるように、という配慮だったのでは?と勝手に想像)
どうせ観るならアリーナ席で、と、たった一席のみ申し込みしてみたら、
なあんと!!!当たりました。

一度は、
生で、
次元の違う、
あの、演技を
観てみたい!!
と思っていたのですが、
初めての抽選参加であたるとは・・・

なんと、幸運な♡

「職業 羽生結弦」と言い切ったかれの、
たった一人で滑り切るワンマンショー。
タイトルや演技構成も自ら考案という、
飽くなき挑戦を続ける、探求するひとのアイスショーに立ち会えるなんて
いまからわくわくします♡

公式サイト「プロローグ」より 羽生結弦メッセージ

これまでの僕の歴史やスケート人生そのものを
感じていただけるようなものを、という思いから、
アイスショーを企画しました。
初めて僕一人ですべてをやりきるアイスショーになっています。
タイトルは、「プロローグ」。
「これから、いろいろな物語が紡がれていくといいな」、
「このアイスショーが、その物語の“プロローグ”となるように」
という思いとともに、全力でむかっていきます。

羽生結弦



仕事前のほっとタイムには何を飲む?

算命学のzoom講座前のほっとタイム

最近は珈琲があまり欲しくない時期みたいで
(珈琲のカフェインがそうさせるのか、よくわからないけれど、
とっても飲みたい時期とあまり欲しくなくなる時期が交互にやってきます
そこは身体の声に素直に従います)

涼しくなってきたこともあり

本日はココアをチョイス

 

カップ&ソーサーもそのときの気分やお茶の種類で選ぶのだけれど、
たまには自作のカップで♡と思って、
もう25年以上前に作ったカップで^^

あの頃は絵付けの職人にあこがれていたな~~

まさか算命学を仕事にするなんて日が来ようとは
一ミリも人生の予定になかったころ(笑)

カップはお皿と違ってカーブが結構きつくて、それなりに苦労したけど、
描いているときはすっごく楽しかった!!

一つ一つ大きさが違うのも手描きならではってことで(笑´∀`)

大皿から小皿、ポット、シュガー入れ、ミルクピッチャー、カップ&ソーサー6客
などなど、、、本気でやっていたから、
セットでたくさん描いてた。

これは同じシリーズのティーポット♡

でもね、

今、わたし。。。

算命学講座で算命学をみなさんと共有できる時間がほんとうに好き♡

すべての宿命や運勢(ブループリント)は決まっているけど決まっていない。

そしてどの宿命も、つまり、

どの人の人生も善し悪し(幸、不幸)が一見あるようなんだけど、実は、

なくて(ないのだ)

あるのは、自分自身を、自分の人生をまるごとぜんぶ受け容れて、
それをどう活かすかってことだけ。

起きていること、与えられたものをどう捉えるかってことだけ。

そのことを嫌って言うほど、毎回毎回、
身体の奧の奥まで染みこませるように腑に落としていくことになる。

一緒に学びたい人がいればいつでも来てほしいな^^

ご縁のある方たちを、
いつでも扉を全開にしてお待ちしています!!