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ゲルハルト・リヒター展にて

ゲルハルト·リヒター展にいってきました。

今回の大規模個展の軸は、やはり、
ホロコーストを主題とした「ビルケナウ」

その場に足を踏み入れたとたんに圧倒的な空気感に包まれる。
ものすごい存在感で迫ってくる。

だけど、ビルケナウだけじゃないの。

どの作品もめちゃくちゃ存在感を放つアブストラクトペインティングやひきこまれていくカラーチャートシリーズ。

 

ガラスや鏡によってまた違う表情が見える。

「無を示すのに灰色は最適」とはリヒター自身の言葉

キャンバスを灰色の絵具で塗り込めたグレイペインティングシリーズは、ローラーを使ったものや筆を使ったものとさまざまに面白い。

ただじ〜っと、灰色のキャンバスをみつづけていると、不思議な感覚になっていく。

どの空間にある作品も、作品やその空間からうまれる外部感覚と内部感覚をじっくりと観察できて、めちゃくちゃ興味深かったし、なんとも瞑想的で良い時間だった。

ロバート・ストアがリヒターについて
「20世紀後半の偉大な作家のひとりであるとともに、21世紀の最前線の探求者」だと語っているそうですが、
まさに探求者であり、チャレンジャーだと思う。

リヒターの作品を生で見たのはこれが初めて。

リヒターについて知っていたのは、

10年ほど前にエリック・クラプトンが所有していたリヒターの抽象画が約27億で落札されて、当時生きている画家としては史上最高額だということ。

なんというかね、う〜ん高額の値がつく画家、、、という、はなはだ勝手な穿った印象を持っていたわけだけど、(笑)改めて、何事に対しても、人に対しても、まずは自分をゼロにすることの大切さを感じました。

まあ、そんなのもふきとばされる勢いですごかったし、素晴らしかったです。

東京国立近代美術館にて
10月2日まで

おすすめです

内なる宇宙にであう

この宇宙の中に子どもたちがいる。

これは誰でも知っている。

しかし、ひとりひとりの子どものなかに宇宙があることを、
誰もが知っているだろうか。

それは無限の広がりと深さをもって存在している。

私はふと、

大人になるということは、

子どもたちのもつこのような素晴らしい宇宙の存在を、

少しずつ忘れ去ってゆく過程なのかとさえ思う。

それではあまりにもつまらないのではなかろうか。

 

これは河合隼雄さんのことばである。

この、河合さんの言う「子ども」とは

幼いものたちのことではなく、
わたしたちすべての人のなかにいる、老いることのない存在の呼び名でもあるのだ

と語る方がいる。

私は誰か?

そんな探求のなかで、

真に「わたし」になる。とはどういうことなのだろう? と考えている。

それは「子ども」でもありながら、

同時に

「おとな」であることなのかもしれない。

そして、

何かを知ろうとすることなのではなく、

思い出す、思い起こす、ということでもあるのかもしれない。

8月になりました。
7日には立秋を迎え、夏の土用も終わります。
すでに今日あたり、空気感も変わってきたように思います。

戊申月の8月のスタート(7日)に向けて今週は切り替わりの時

古い物(ルールや決まり事、大きな壁だと思っていた物など)が壊れて
新たな可能性がうまれる。
また元々あったものだけれど、見過ごしていた物や
後回しにしていたものと向き合うことになったり、ご縁が戻ったり、ということも
ありそうです。

身の回りの整理整頓をしていただくのもよし。
身体のケアもよし。
環境や住まいの見直しもよし。

です。

風水も活用して、すっきりと8月をお迎えください!!

みなさまにとって佳き8月となりますように☆

100パーセント自分を出せる?

こんにちは

愛賀真琴です。

一昨日、わたしは人を殴ったり蹴ったりする大人の遠足に参加してきました!!!

びっくりしましたか?

実は人生初のキックボクシングなるものを体験してきたのですが・・・

生まれて初めて、
ボクシングのグローブをつけて
足にもなんかつけて

ジャブとストレートとフック
そして、右ミドルキックと左ミドルキックを教わって

最後、1分間

人(先生)を思いっきり殴ったり蹴ったりしているにもかかわらず

「いいっすね~~いいっすね~~♡」といわれたのは

ほんとうに生まれて初めての体験でした^^

よくね

サンドバッグをたたいてストレスを解消するというような話を
聞くけれど

すっきりするとか、
ストレス解消になるとか
自分の日々のイライラや、もやもやしていたものを吐き出す・・・

というようなこととはまったく!!違うことでした。。。

スポーツという感覚でもない

なんというか

すごく上等なヒーリングを受けているような感じなの

人に対してパンチしたりキックしたりするという行為は

もちろん危険がともなって、
もしかしたら相手を傷つけてしまうかもしれないものでしょう?

それをひとつひとつ全部受け止めてくれて
なおかつ

「いいっすね」はありえんでしょう。ふつう

わたしが発した、ひとつひとつの動作というか行為を
ぜんぶその身体で受けてもらえてることに
「ありがとう♡」の思いがわいてきて、不思議な世界に浸っておりました。

練習をして、最後に先生とがちで向かい合うのは、
たった1分のほんとうに短い時間なのね。

見ている仲間の人たちの

「まこっちゃん、右ミドル行け行け」とか
「アッパー!」とかいう声が聞こえてくるのだけれど

え、アッパー? それはまだ習ってないし、とか
いくら超初心者の私でも、非力な私でも、
もしアッパーはいっちゃったら 危なくない??とか(笑´∀`)(そんなわけないけどね)
先生を殴ったり蹴ったりしながらいろんなことぐるぐる考えちゃっているわたし。

100パーセントのわたしをだすぞ!!と思っていたのに
全然100パーセントには遠く及ばなかった。。。

普段の人間関係でも

100パーセントの自分なんか怖くて出せない

もし100パーセントまるごとの自分を出しちゃったりしたら

関係性が壊れてしまうのじゃないか、
相手はどう思うだろう、
嫌われちゃうんじゃないか

って色々考えてしまう

自分と他者の間にばっちり境界線がある

なにごともほどほどがよし、と

なにごとも、だれとでも

ほどほどにやっていたら

ほどほどにしかわかり合えなくて
ほどほどの関係性しかなくて
ほどほどの自分しかしらなくて
ほどほどにやっているほどほどの結果しがでなくて

それってほんとうにわたしの望み???

そうやって死んでいっていいの??

って最近とくにそう思う。

だからね

100パーセントの力で相手を殴りにいって、蹴り飛ばしていってみたかった

100パーセントの自分に出逢いたかった
そこにどんな自分がいるのか体験したかった

今回はまだまだまだ、様子みている自分がいて
覚悟(愛)が足りなかった

また挑戦してみようとおもう

皆さんは100パーセントの自分に出逢えてますか?

帰りに見かけた和菓子屋さん

職人さんの魂が込められた逸品たちが並んでいて
その美しさに圧倒されて感動しました。
美しい和菓子(上生菓子)は芸術よね。

お勧めを買って帰りました。

ものすご~~く上品なぷるんとした甘みが秀逸でした。

<算命学の個人セッションを受けてくださるみなさまへ>

是非、100パーセントの自分でいらしてくださいね♡
「いいっすね~~♡」と、どんなあなたもまるごと受け止めます(*^-^*)

沈黙ということ

鏑木清方展@東京国立近代美術館

 

鏑木清方展に行ってきました。

没後50年

美人画で有名な方という認識だけで作品を生で観たことはなかったの。
(家のわりと近くに鏑木清方美術館もあるのに、、出逢えないときは出逢わないものだ)

美しい人を描いた作品はもちろん美しいのだけれど、
庶民のどこにでもあるような日常を描く鏑木さんのまなざしがとても素晴らしかった!!

ちらしにあるように

「なんでもない一瞬がなによりも美しい」ということを

鏑木さんはその作品を通して言葉よりも雄弁に語っているのだな~と。

私は美術館や博物館に行くのが子供の頃からすごく好きで・・

でも

いつの頃からか

(子供の時はそうでなかったとおもうのだけれど)

観る前にその作者や絵画について調べて知識を得たり

行けば行ったで、

キャプションや年表を念入りに読んだり、音声ガイドを聴いたり・・

「知る(知識を得る)」ということに思った以上に大きなエネルギーを使うことを
しているんじゃないか・・・って思ってね・・・

知識を得ることが良くないって言う意味じゃなくて、
知識を得ることや知っているということが何か大切なものに触れる機会を逃しているんじゃないか、ということを最近ふと感じたのですよ。

それでね

今回は

頭の声や音声ガイドや
知識というものをいったん脇において

ただただ、ひたすらに、

沈黙の中で作品と対峙してみようと思って出かけていったの。
これまで観たことがなかったものなら、なおさら知識もないし。

最初のうちは

沈黙が難しくて・・・苦笑

なぜってね

これはいつ頃描いた作品かしら・・

これは誰を描いた物なのかしら・・

どんなテーマを持って描かれたのかしら・・

そんなことが気になったり、頭をよぎるたび、

わたしの想像ははたして正しいのか、正しくないのか・・
(ほんとうは正しいか正しくないかなんてどうでもいいことなんだと思うのだけれど)

そんな思いが邪魔をして

ついついキャプションを読みたくなってしまうのだなあ。。。。。

はたまた、時々絵を鑑賞しながら友人同士で絵の解説をしている人たちがいるでしょう?
その声につい、耳をそばだててしまっている私がいることに気づいたりして・・・

あ~~~、また求めてる。。。わたし 笑

自分を鎮めて、黙ることが簡単にはできなくて苦戦。

それでも心を奪われる作品のまえにたつと、
一瞬で静かになり、知らず知らずに訪れている沈黙。

だんだんに

ただひたすら黙って、静かに絵と向き合って、絵の前に立ち

ときにはまなこを閉じて、まぶたに残る像の余韻に浸ったりしているうちにね、

解説を欲するわたしもいなくなっていて

そうしたらね

思いもかけなかったような豊かで、深くて、美しい世界が広がっていたの。

自分でも すごく すごく びっくり!!

と。。。言葉にすると、どうしてこうも陳腐になってしまうのだろうかね。

あの悦び?っていうのかな、を言葉にするのはとても難しいわあ

鏑木さんのひととなりや、人生や年表を知ってこそ
きづくこともあるかもしれない。きっとあるでしょう。

けれどたとえ知っていたとしても
この、沈黙がもたらしてくれるものの豊かさや美しさや感動は、
知識による気づきを超えていくのではないかとさえ思える。

鏑木清方展 とても と~~っても 感動!!!

特に心を奪われたものがふたつ

それは重要文化財に認定された作品でもなく、
賞を受賞した作品でもなかった。

これほどまでに清らかな情景があるのかと思うほどの圧倒的な清らかさを放つ作品
がひとつ。

その瞬間が恩寵としてもたらされる大自然の清らかさにかなうものなんて人工物のなかにはないのではないか、とずっと思っていたけれど、いや、あるではないか、と一瞬でこころを奪われて、見入った作品。

それと並んで、
芸妓さん?が踏み絵をしようとしている姿が描かれた作品がありました。
(あとで知ったのですが、長崎の遊女だそうです。隠れキリシタンだったのでしょうかね)
その遊女の姿はとびっきり美しくて着物も帯も豪華絢爛そのものなんだけれど、
今まさに踏み絵をしなければならないその瞬間のはだしの白い足があまりにも小さく、切なく、弱々しく、けれど強く感じられて、改宗しなければ生きてはいけなかったのであろうその時代と遊女の環境が胸にせまり、着物の黒がよりいっそうの美しさを際立たせていてとてもとても素晴らしかった。

庶民の生活のようすがとてもみずみずしく、細やかな描写がまるでそこにいるかのように思わせてくれて、しかもどれも美しくて、
着物の素材の質感や柄が季節を描き出していてほんとうに素晴らしい作品ばかり。

お着物を着て鑑賞していた女性も多く、
若い男性がちらほらとひとりで鑑賞されていたのにもけっこう驚いた私。

鏑木ファンがたくさんいらっしゃるのですね~~~
私もすっかりファンになりましたが・・・(笑´∀`)

着物好きの方にもお勧めしたいなあ。
袖からちらとのぞく襦袢の色や柄、帯との色合わせ、どれもこれも
作品のなかの着物がみなとっても素敵だから。

会期は5月8日までですが、わたしのお気に入りの二枚は17日まで(*^-^*)

みなさんも是非観にいかれてみてはいかがですか?

沈黙とともに・・・お勧めしたいな^^