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人生の岐路に立ったときの選択の基準その②~算命学より

こんにちは

真琴です。

前回の続きになります。
イヤーリーディングに時間をとられて前回の①から一ヶ月半も経ってしまいました(^^;)
待っていてくださった方がいらしたらごめんなさいね~~~

人生の岐路に立ったときの選択の基準その①を読んでいない方はこちらからどうぞ↓
https://aigamakoto.com/main/2023/12/06/%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%AE%E5%B2%90%E8%B7%AF%E3%81%AB%E7%AB%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%81%AE%E9%81%B8%E6%8A%9E%E3%81%AE%E5%9F%BA%E6%BA%96%e3%80%80%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%B8%80



前回、持って生まれた宿命の氣を数字にしましたね。

与えられた点数をどのように消化して生きていくと良いのかを知るためには
五徳(福・寿・禄・官・印)の考えを用います。


福とは・・自分の精神的満足感や幸福感
寿とは・・健康
禄とは・・財
官とは・・名誉
印とは・・智恵・判断力


を意味します。

例を挙げてみましょうね。

一番点数が高いものがで、一番点数が低いものがの場合。

まずまっさきに優先するのは「官」です。

「官」を優先して生きていきなさい。という意味になります。

それは

ほかの五徳を脇においても、
自分の名誉を高めることを優先した生き方をしなさい、ということです。

自分の名誉を高めることを優先した生き方ってどんな生き方?と思いますよね。

それは、

ちょっとぐらい身体の具合が悪くても、あ~気分が乗らないな~と思っても、
「仕事」(やるべきこと)を優先することが大事だということです。

通常、名誉は仕事(自分がやるべきこと)で得られるものだからです。

たとえば、
自分が興味があろうとなかろうと、
相手が気に食わない人であろうと、
相手(たとえば、取引先のお客様)と面会する、
会合に出席する、というように、

名誉(やるべきこと、役目)を優先して生きていると、
自然と他の五徳も消化できることになるのです。

一番点数の高いものの次に重要なのは、一番低い点数の五徳です。
最も点数の低いものを最も後回しにすることが大事になります。

福が一番点数が低いにもかかわらず
自分の満足感を優先して、
やれ、ゲームだ、パチンコだと、
楽しいこと、面白いことを優先した生き方をして、やるべきこと(点数の高い官=仕事)を後回しにしていると、

結果的に最も不幸で、最も不満足な人生となってしまう、と算命学では考えています。

では、

福が一番点数が高い人はパチンコやゲームをして毎日遊んでいればいいのでしょうか?

「福」の点数の高かったみなさま!!

残念ながらそうではありません。

福が一番ということは、
ほんとうに自分がやりたいことを自分の力で確立させなさい
、ということなのです。

やりたいことが出来る人生を自分の力で作り上げなさい、ということで、
ただ単に、やるべきこともやらずに遊んでいればいいという意味ではないのですね(..;)

では、

禄が一番点数が高い人はどうでしょうか?

生徒さんが、禄の点数が高いので、わたしはお金に執着してもいいのでしょうか?と言っていましたが、そうではありません。

禄は財ですが、財ができあがるためには
親切でやさしい特徴を活かして、ビジネスチャンスをものにしたり、
堅実にコツコツと努力することで人の信頼を勝ち得た結果、財に繋がっていくのです。
逆にお金に執着すると裏目にでます。

地位かお給料かでどちらの仕事に決めようか、と迷ったときには、
禄の数値が高いのであれば、迷うことなく給料の高い方を選んでいいです!!

寿が一番の人は、子育てを一生懸命やったり、目下の面倒をみたり、人のお世話をしたり、何かを教えたり、伝えたり、というように伝達本能を活かすことを優先するといいですね。

印が一番の人であれば、勉強することは良いことではありますが、
只単純に勉強さえしていればいいということではないのが鍵です。

たとえ遠くても、逢いたい先生には会いにでかけたり、
たとえ雪が降ろうと嵐であろうと長靴はいて、傘をさして、勉強の場にいくこと。(安易に休まない)
高くても読みたい本は買うとか、
仕事やアルバイトを選ぶとき、自分の知的好奇心を満たすのはどちらか?を優先して選ぶといいですよ。
間違っても給料や名誉で選ぶべきではありません。

印を優先すると、宿命が伸びて成功していくのですが、ほかの五徳を優先すると、行き詰まってしまうことになります。

自分の点数の高いもの、低いものを頭に入れておいて、人生の岐路にたったとき、選択肢の基準にできるといいですね!

あなたの一番高い点数と一番低い点数はどの五徳でしょうか。
気になりますね^^

算命学をお勉強中のかたは一番高い点数の五行を気図と八門で比較してみると
自分に与えられた環境と生き方の関係性についても面白いほど良くわかりますよ。

何か参考にできることがあればヾ(^v^)kです

②は五徳の考え方がはいってくるので、一般のかたはちょっとわかりにくかったかもしれませんね。。。

ではまたね^^






算命学「鑑定の心得」から思うこと

17年ほど前になります。

算命学を学びはじめて4年くらいたったときでしょうか・・・

「鑑定の心得」なるものを学びました。

いくつかある心得のなかで特に印象深く心に残ったことがありました。

それは

間違った鑑定をすると、返り矢を受ける というものでした。

人間は天(自然)が求めた役目を生きるために生まれてきたのに、
その天(自然)が求めた役目から外れた生き方をさせるようなことを言う(占う)と天(自然)から罰(返り矢)を受ける。というのです。

か、返り矢って、一体どんな罰?

と、思いました。

師曰く、

① 宿命通り生きにくくなる(つまり、生き辛くなる)
② 返り矢が子孫に間者の因縁を残す。
  間違った鑑定を繰り返せば、そのたまった矢が子孫に残り、子や孫が
  他人から人生を曲げられるような運命に逢う。

自分が人の人生を曲げてしまったら、
自分や自分の子孫が同じような目に遭うのは因果応報の法則だ、というのです。

そして、さらに師は続けました。

誰も、故意に人の人生を曲げようとはしないでしょう。
少なくともそんなことを思って鑑定はしないでしょう。
その人のことを考えて、その人のために正しいことを言おうとするでしょう。
たとえ悪気はなくても、です。
自分ではそれが正しいと思って言ったとしても、それが間違っていたなら
返り矢を受けますよ。
その人の宿命に沿った生き方を勧めること。
自然の法則にかなった生き方を勧めることが大切なのですよ。

そのときはショックでした。

算命学を仕事にしようと思って学び始めたわけではなかったので、
自分が他の人を鑑定するということは、そのときは全く考えてもいなかったけれど、

たとえ、仕事ではなくても
自分が言ったことで誰かの人生を曲げてしまうようなことがあったとして、
その責任を自分が負うのはわかる。
けれど、それが関係のない子どもや孫の人生を曲げることになるなんて、そんなことは許されないだろうと思ったのです。

どんなに心を尽くしたとしても、
自分の力量が足りずに間違ったり、
あるいは、思い違い、考え違いをしてしまうことはないとはいいきれない。
むしろ、誰にでも間違いはおこる。

算命学は厳しいことを言うなあ。と思いました。

同時に

とても、感動していました。

なぜ感動したかというと、

ある程度の勉強を重ねてきて、
人を鑑定するレベルに到達しようという人たちに向けて、
あるいは、それを仕事にしようと考えているかもしれない人たちに向けて
この話はされます。

これを聞いて、辞めていく方たちも少なからずいました。
あるいは、わたしは趣味でいいわ、という声も聞かれました。

算命学に限らず、
他の星占いにしても
チャネリングにしても
そういう類いの仕事だけでなく、
人の人生や命に関わる職業についている人たちは、
この、返り矢の可能性があります。

罪を犯していない人を罪人にしてしまったり、
罪ある人の弁護をして、無罪にしてしまったり、罪を軽くしたり、
間違った病気を診断したり、、、 すれば、
たとえ悪意はなくても、その人の人生を曲げてしまうことになります。

ほかの占いの教室や
チャネリングといわれるような手法や
あるいは、ひとを裁いたり、弁護したりするようなお仕事のジャンルにおいて、このような「心得」を聞くことがあるかどうかは知らないけれど、

わたしは、こういう話をちゃんと心得として、
すべての学ぶ人に向けて伝える算命学の考えや姿勢にとても信頼を持ったのです。
聞けて、知れて、良かった!と心から思いました。
知るということは、人を謙虚にすると思うのです。

そしてこのあと

わたしは、

当初は全くもって考えてもいなかった道へ足を踏み入れていくことになったのですが、

この心得を何度も何度も、考えて、考えて、
ほんとうに覚悟を持てるのか、自問自答しました。
自分の覚悟だけでなく、自分の先に繋がるものへ責任を持てるのかということも含めて、です。

そして決めたのは

この道を歩いている間、この心得を絶対に忘れまい、ということ。

そして、誤解を恐れずに言うならば、

人というのは、わたしごときの言葉で自分の人生を曲げられてしまうような、そんな弱い、力のないものじゃなくて、どの人も素晴らしい力があるって信じているから、私はその力を引き出せるようなサポートを、ツールとして、算命学や風水を使ってさせてもらっているにすぎないということ。

私たちは、

この地球に生まれてきたというだけで

他の人が生まれてくる可能性を奪って、

母の子宮を10ヶ月もの間独占してきた、ものすごい幸運の持ち主なんですよね。

それってすごい!!ことですよね。

そう思いませんか?



作り手の思い~身体が整うお茶

作りての思いが伝わる逸品でした

「癸卯」とあるので、おそらく今年の茶葉。

今年
台湾にあるこの茶園 「川風堂」は壊滅的打撃を受けて
ほとんどの樹がだめになったと聞いていた。

そのように大変な時に
祈られ
天地の恵みを受けてできた茶葉。

これまでいただいてきたどの烏龍ともまったく違う
味わったことのないようなフルーティさにおどろいた。

軽やかで
やさしく
懐かしい温かみのあるお茶

そしてこのお茶はのむと身体が整う。
毎朝の儀式のようにいただいている。

いつかこの茶園を訪れたい

龍択寺 観楓祭へ

11月23日、秋晴れの日、龍択寺の観楓祭へ行ってきました。
コロナ下は中止となっていたため、4年ぶりの開催です。

龍択寺は平安時代に弘法大師によって創建されたのですが、その後廃れてしまい、900年もの時を経て、日本臨済宗中興の祖・白隠禅師によって江戸時代中期1761年に再興、禅寺として開山されました。
けれども、お寺はまたもや廃れ、大正時代に山本玄峰老師によって復興されます。

お寺の毘盧蔵に保管されている経典や書物、掛け軸などを、観楓祭として一日だけ、虫干しを兼ねて一般公開されるのですが、
行ってみてびっくり!!!

白隠禅師の画、一休宗純・円山応挙・良寛などなどなどの、目を見張るようなお宝ばかりが処狭しと並んでいました!!!

白陰禅師の書画だけでも20点ほどはあったのではないかしら?
筆の迫力に圧倒され、なんとも言えないあたたかみやおおきく包み込まれるような深さを感じて長く作品の前で坐ってしまったことも。

あまりにすごい作品がこれでもかと続くので、だんだん頭がくらくらしてきます(笑)

応挙の描いた富士
見て描いたのではない、生まれいでたる霊画(←こんな意味のことが説明文に)とありましたが、胸にせまってくるものがありました。

びっくりして、息が止まりそうになったのは!!先日逢いに行った倶利伽羅不動ご本尊が御軸に描かれてあったこと!(実はようく見ないと気づかない、ほんの一点のみ違っていましたが)
倶利伽羅不動ご本尊は空海作とつたえられていますが、龍択寺はもともと空海さんが創建されたお寺なので、なにかご縁があるのでしょうかね・・・

まさかのご対面でした。(あ~~どきどきした・・・)

とてもありがたかったのは、お寺の開山堂には白隠禅師や玄峰老師像など4人の等身大と思われる老師像が安置されていてご挨拶ができたことです。

龍択寺は禅宗の道場であるので一般参拝は受け付けていませんし、修行が行われている接心の期間は境内に入ることもできません。

ですので、一年でこの一日だけ、美しい境内やお堂の中に入れていただけて、これまでどれだけたくさんの方たちが修行を積んでこられたのだろうか。。という歴史を感じながら貴重な書画を拝観できる特別な機会。

10年くらい前に古本屋さんで偶然手にした「無門関提唱」に載っていた玄峰老師の笑顔があまりにも美しくて、それに魅せられて買った本でしたが、今では大切な本になりました。
この本に出逢ったおかげで龍択寺を知ることともなったのですから。

その玄峰老師、そして白隠禅師のお墓にもお参りすることができて
ほんとうに佳き一日となりました。