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龍択寺 観楓祭へ

11月23日、秋晴れの日、龍択寺の観楓祭へ行ってきました。
コロナ下は中止となっていたため、4年ぶりの開催です。

龍択寺は平安時代に弘法大師によって創建されたのですが、その後廃れてしまい、900年もの時を経て、日本臨済宗中興の祖・白隠禅師によって江戸時代中期1761年に再興、禅寺として開山されました。
けれども、お寺はまたもや廃れ、大正時代に山本玄峰老師によって復興されます。

お寺の毘盧蔵に保管されている経典や書物、掛け軸などを、観楓祭として一日だけ、虫干しを兼ねて一般公開されるのですが、
行ってみてびっくり!!!

白隠禅師の画、一休宗純・円山応挙・良寛などなどなどの、目を見張るようなお宝ばかりが処狭しと並んでいました!!!

白陰禅師の書画だけでも20点ほどはあったのではないかしら?
筆の迫力に圧倒され、なんとも言えないあたたかみやおおきく包み込まれるような深さを感じて長く作品の前で坐ってしまったことも。

あまりにすごい作品がこれでもかと続くので、だんだん頭がくらくらしてきます(笑)

応挙の描いた富士
見て描いたのではない、生まれいでたる霊画(←こんな意味のことが説明文に)とありましたが、胸にせまってくるものがありました。

びっくりして、息が止まりそうになったのは!!先日逢いに行った倶利伽羅不動ご本尊が御軸に描かれてあったこと!(実はようく見ないと気づかない、ほんの一点のみ違っていましたが)
倶利伽羅不動ご本尊は空海作とつたえられていますが、龍択寺はもともと空海さんが創建されたお寺なので、なにかご縁があるのでしょうかね・・・

まさかのご対面でした。(あ~~どきどきした・・・)

とてもありがたかったのは、お寺の開山堂には白隠禅師や玄峰老師像など4人の等身大と思われる老師像が安置されていてご挨拶ができたことです。

龍択寺は禅宗の道場であるので一般参拝は受け付けていませんし、修行が行われている接心の期間は境内に入ることもできません。

ですので、一年でこの一日だけ、美しい境内やお堂の中に入れていただけて、これまでどれだけたくさんの方たちが修行を積んでこられたのだろうか。。という歴史を感じながら貴重な書画を拝観できる特別な機会。

10年くらい前に古本屋さんで偶然手にした「無門関提唱」に載っていた玄峰老師の笑顔があまりにも美しくて、それに魅せられて買った本でしたが、今では大切な本になりました。
この本に出逢ったおかげで龍択寺を知ることともなったのですから。

その玄峰老師、そして白隠禅師のお墓にもお参りすることができて
ほんとうに佳き一日となりました。



紫陽花を愛でる 鎌倉にて

毎年恒例、夫と鎌倉紫陽花散歩
平日の雨模様にもかかわらず、たくさんの人でした。
去年と違ったのは、外国人が増えていたこと!!

雨に濡れてみずみずしい神々しさをはなっていました。
紫陽花たちが自分の美しさを誇示したいと思っているわけではないし、
ただありのままに、そこに咲いているのだけれど、
たくさんの人に愛でられて、うれしそうに感じるし、
たくさんの人を幸せな気持ちにさせてくれてありがとうって言いたくなる。




吉野 金峯山寺の青不動さま

京都から吉野へ

数年ぶりの吉野でした。

金峯山寺でこの時期御開帳になる、秘仏青不動さま(蔵王権現三体)を

間近で、しかも、


個室で!!拝観できました

人も少なかったのでゆっくりと
しかも2度も対面させていただけました。

青い権現さまとひとり対面しながら
ふと、
前日の京都でのワークのとき、

師匠の長い後ろ髪が青くて、まるで青龍のようにみえた姿が
重なりました、、、。

吉野葛や柿の葉すしを美味しくいただき

450段の階段を願いを込めて歩いた方たちの思いに触れ

役小角さまを心に抱き

雨上がりの美しい自然に洗われる。



ありがたい一日でした

感謝

御開帳は11月いっぱいです

閼伽井の水~魂の闇夜を想う~

こんにちは、真琴です。

先日上がらせていただいたお山の閼伽井でお水をいただいてきました。

前日雪が降り、その日の朝も少し雪交じりのお天気で
坂道を滑らないで行けるか心配したのですが、
お坊様たちが早朝から雪かきをしてくださったようで
滑りやすそうなところには砂利までまいてあり、
歩きやすいようにしてくださっていました。

ありがたいことですね。

行きはよいよいすべて下り、
帰りは息を切らせて登リ続き。

閼伽井はちょうどあとすこしでお堂につくな~というところにあります。

早朝は、美しい日の出にも出逢えます。

時々湧き水をいただいてくるのは墨をするため。

お水をいただいた場所に思いを寄せながら、静かに墨をする時間は
すごく静かな泉とともにあるような、大切な時間です。

歩く瞑想や食べる瞑想があるように、
墨をする瞑想のよう

墨の香りも心を落ち着かせてくれるのでしょうね。

気がつけば、とても長い時間を過ごすこともあれば、
ほんの10分ほどで書いて終わってしまうこともあります。

心のままに、
なんの制約もない、
時間であって、時間でないような不思議な「じかん」なのです。

終わってからいただく一服のお茶のじかんも
とても幸せな時間です。

このところ心が極から極へと、行ったり来たりで
これまでの人生で一番揺れていたこともあり、
墨を擦っても擦っても、いっこうに静まらない心を抱きしめながら
観じておりましたら
時間というものはありがたいもので
乾かないのではないかと思っていた涙も乾くのですね^^

かつての神秘家たちが「魂の闇夜」と表現したプロセスを
まるごと相手にするかどうかは自分次第。
そう、それは必須ではないから。

・。・。・。・。・。・。。

さてさて、
みなさんはどのような時間を過ごすのが好きですか?