日本国の宿命と運気

国家の宿命について論じるとき、

この根幹となっている理論に 『命道論』というものが
あります。

宿命はその宿命を取り巻く『環境』によって左右される
という考えです。

環境を国・会社・家庭・・・と置き換えて考えますと、
例えば、勤めていた会社が倒産すること、ありますよね。
全員が失業します。
でもそこに勤務していたすべての人が
悪い運命なのではありません。

そこで活躍していた運気の良い人もいたはずですね^^
そして失業ということによって
逆に、本当にやりたかった事に出会えて、
人生がより上手くいく人もあれば、そうでない人もいます。

今発展している会社に勤めていたら、
たとえ個人の宿命がどうであれ、
お給料もボーナスも他の会社より良いはずです。
その会社の恩恵を全員が!受ける事ができますね。

でもすべての人が良い運勢とは限りません。
これは個人の運勢とは別のものです。

すなわち

別の集団=国・会社・家庭と言った集団の運勢による影響を
個々の人生が受けていることになります。

同じ植物の種も北海道に植えられたか、
沖縄に植えられたかで、
まったく生育環境が違ってきますよね。

人間も同じです。

同じ生年月日でも、
環境によってまったく違う人生になります。
だから生年月日が同じであってもひとりひとり違うのです。

この根幹となった「命道論」が発展して
『擬人論』となりました。

これは国家・会社・家庭等の組織を扱う理論・技法です。
国や会社や家庭を一人の人間として見立てる、
つまり『擬人化』するのです。

信用のある国、ない国
明るい会社、暗い会社
おしゃべりな家庭、クールな家庭・・・
といったような、
人間のような性格をその集団が備えているのですね

ある国で暮らしている国民は
その国の運気の影響を受けているのです。

日本に住んでいる人たちは日本国の運気の影響を、
アメリカに住んでいる人たちはアメリカ国の運気の影響を
北朝鮮に住んでいる人たちは北朝鮮国の運気の影響を

当然ながら受けて暮らしていることになります。

『気』というものは上から下へと流れます。

天→地
親→子供
政府→国民
首相→大臣達  といったように・・・

なので、
国民が国の影響を受けるように
子供は親の影響を受けますね。

ちょっと話がそれましたが、

もともと
『宿命』というものは『人間』そのものではありません。

人間も自然界で与えられたもの、自然の気の集合体なんだ
という考えから、 それを干支というもので記号化したものが
宿命と呼ばれているものです。

なので、
宿命を人間に見立てるのもひとつの擬人化なのですね。

擬人論はまだまだ奥が深いのですが、
これくらいにするとして、
この擬人論がさらに発展して
国家占法・集団占法ができたのです。

国家占法・集団占法という技法について

この技法には条件がありまして、

1、生年月日があること
(山、川、海、など生年月日が特定できないものや
自然環境は見ることが出来ません)
2、人間の集団であること
3、集団が組織化されていること

1の生年月日の特定についてですが、
国家の場合は
1、独立記念日
2、その国の最初の王が即位した日
3、憲法施行日
で決定します。

その国がどのように成り立ったか、
その成り立ち方によってどれかを選びます。

例えば、
米国は独立記念日を生年月日としてみます。

日本国は2と3が可能性があります。
通常は、現代の日本国は戦後の日本国として見るため
憲法施行日でみています。

が、

戦前の日本国の宿命
大和朝廷のころの日本は?
江戸幕府はどうであったか、
といったようにそれぞれの生年月日で
比較してみると面白いことがわかるかもしれませんね~~^^

おそらく縄文時代の日本とこの明治以降の日本では
かなり異なっている・・・でしょうね。

徳川幕府なら家康が即位した日になるでしょうか・・

会社の場合ですと、
法人として登記した日が生年月日となります。
これは宗教・学校・特殊法人など何でも入ります。

法的な効力・権限を持つようになってはじめて
「会社の気」が始まるからです。

この場合、
社長個人の意志では自由に色々な物事を決定したりすることができないほど、 (つまり、株主の賛成などが必要になる場合ですね)
大きな会社になればなるほど、
集団占法が必要になります。

オーナー社長の場合は、会社の生年月日よりも
オーナー社長個人の生年月日のほうが
より重要です。

では家庭はどうでしょう?

家庭の場合も、結婚生活が始まった日を生年月日として
集団占法を使うこともできますが、
個人の宿命のほうが、当たり前ですけど、より重要ですね。

集団が小さいので、夫か妻のどちらかが抜けたら
この集団は消滅するからです。
それほど小さいということですね。

では国家占法・集団占法によって何がわかるのでしょう?

その国・集団の特徴・性格・生き方・他の国との関係性・
後天的な運気・運勢といったものは
人間同様にわかりますが、

自分がその国(会社)を必要としているか、
言い換えれば
自分がその国(会社)に必要とされているか

がわかります。

自分の宿命と合致した部分が多ければ、
その国(会社)で生き易いし、
活躍しやすいですね^^

合致するところが少なければ、
それだけ生きにくいことになるし、

そこで生きてくには我慢も必要になるかもしれないし、

また、どういう風に自分を活かすかという工夫が
合致している人よりは必要になるでしょう。

どこが合っていて、どこが合っていないのか、
知ることも大切だと感じます。

もしそこが 嫌なら
自分が必要としている国(会社)を探す事もできますね^^

日本国よりもアメリカや中国といった別の国の
ほうが活躍できる、あるいは自分が必要としている国だという人ももちろんいるはずですね。

では

私たちが今暮らしている日本国という国は
どのような特徴を持っている国なのか、
すべては書ききれませんし、算命学を知らない方にとっては
理解が難しいと思われるので、
初めての方でも比較的わかりやすいポイントをひとつ
紹介しましょう。

冒頭の
「日本人はこわがりの遺伝子を持っている割合が
ずば抜けて高い」とあった記述を
算命学的にも裏づけすることができるのです。

日本という国の特徴の一つに 『司禄星』が二つある
があげられます。

この『司禄星』という星は 堅実な星です。
言い換えれば、安定志向型の星なのですね。

それが陽占(人体図)にあらわれる5つのうち、
2つもあるのですから、 大きな特徴といえますね。

つまり

堅実な人、安定志向型の人が多い国であり、
家庭を大切にする人が多い国ともいえます。

家庭、つまり外ではなく内側を大切にする、また
星の循環という見方を加えて、
他の国との関係という視点で日本国を考えると

戦後の日本人は自己中心的な人が多いといえます。
自分中心で自分の国や自分の住んでいるところ、
自分の家は大切にするけれど、

よその国で起きていること、よその家のこと、
よその地域にはあまり関心がなかったり、
大切にしない傾向もあります。

現代の日本人にはそういう傾向ありますよね?

つまり国としては閉鎖的な国、
閉鎖的な国民性になりやすいのです
ですから日本に外国人が来れば来るほど摩擦やトラブルも増えることになります。
移民を受け入れるには向いていない国ですね。

家庭思い、ひいては日本人思い。なので、
自分に関係している範囲のことはとても大切に思ったり、
心配したりするけれど、
他人や自分に関係ないこと、日本が関係していないこと、
被害がないことについては、 身内や日本人を気遣うほどには
関心がないといえます。

「司禄星」は妻の星でもあるので、
妻の力(主婦の力)が強い国ともいえますよ^^

陽占(人体図)に司禄星がある人や
循環が日本国と同じで主星に止まる人は、
上記のような日本の傾向と合っているので、
違和感なく過ごせることになります。

今、社会全体が流動的で、
正社員として働くことも、
結婚することも、
結婚して子供を持つことも
確実なことではなくなっているので、

「安心で安全であること」の価値がより上がっている。
のかもしれませんね。

冒険をしたり、
リスクをとってでもやりたいことやってみよう!
という若者よりも 安定した道を選ぶ堅実な若者が
多いように思うのは 私だけでしょうか?
個々の本質は違っていても、日本が安定志向型であることの
影響を受けているとも言えますね。

例えばアメリカにはこの堅実な「司禄星」はひとつもありません。しかも 主星が「龍高星」で冒険好きな改革の星。
ですから冒険派の人は、
日本にいるよりもアメリカに行った方が
生きやすいし、活躍できるかもしれませんね~~
またアメリカという国のほうがのびのびできる、とも
言えるかもしれません。
もちろん、この点においてのみ、ということになりますが。
(観点は色々ありますからね)

また10年ごとの大きな運気の流れをみると、
戦後の日本は2007年から 60歳からの大運に
入っているのですが、(2016年1月21日現在68歳です。
2016年5月3日で69歳になります。この大運最後の一年です。)

この大運は日本の戦後一番苦しい10年間と言えます。

国の大改革がおきたり
(自民→民主→自民という政権交代もおきましたね!)

国の基本方針がガタガタしたり
(ガタガタしっぱなしです・・ 総理大臣も次から次へと変わりました)

2011年には未曾有の大震災もありました。
放射能の問題も以前未解決です。

原発の問題もあります。
方針もまだ定まっていません。

憲法の問題もしかりですね。

厳しい10年ですが、
基本方針を見直して、真の改革をやるべき時でもあります。
日本という国はいったいどうありたいのか、
どういう国になりたいのか、をはっきりと打ち出していく時でもあるのです。

バブル期のように楽して儲けられる時代は終わりました。
着実に過ごすことも求められています。
上手い話がころがっている時代ではないですね。
私達国民も心して、この国をどういう国にしていきたいのか、
自分自身はその中でどうありたいのか、
私たち自身も改革の時です。
考えるべき10年なのです。

最も苦しい時期を乗り越えるには大きな苦労が伴います。

政府も国民も。

この10年を振り返ってどうでしょうか?

後世に語り継がれるような時代の改革を
成し遂げていけるのでしょうか
それとも・・・

次の10年はこれまでの10年の生き方によって変わってきます。

後一年。
2016年は安倍総理も私たちも正念場ですね。

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