算命学「鑑定の心得」から思うこと

17年ほど前になります。

算命学を学びはじめて4年くらいたったときでしょうか・・・

「鑑定の心得」なるものを学びました。

いくつかある心得のなかで特に印象深く心に残ったことがありました。

それは

間違った鑑定をすると、返り矢を受ける というものでした。

人間は天(自然)が求めた役目を生きるために生まれてきたのに、
その天(自然)が求めた役目から外れた生き方をさせるようなことを言う(占う)と天(自然)から罰(返り矢)を受ける。というのです。

か、返り矢って、一体どんな罰?

と、思いました。

師曰く、

① 宿命通り生きにくくなる(つまり、生き辛くなる)
② 返り矢が子孫に間者の因縁を残す。
  間違った鑑定を繰り返せば、そのたまった矢が子孫に残り、子や孫が
  他人から人生を曲げられるような運命に逢う。

自分が人の人生を曲げてしまったら、
自分や自分の子孫が同じような目に遭うのは因果応報の法則だ、というのです。

そして、さらに師は続けました。

誰も、故意に人の人生を曲げようとはしないでしょう。
少なくともそんなことを思って鑑定はしないでしょう。
その人のことを考えて、その人のために正しいことを言おうとするでしょう。
たとえ悪気はなくても、です。
自分ではそれが正しいと思って言ったとしても、それが間違っていたなら
返り矢を受けますよ。
その人の宿命に沿った生き方を勧めること。
自然の法則にかなった生き方を勧めることが大切なのですよ。

そのときはショックでした。

算命学を仕事にしようと思って学び始めたわけではなかったので、
自分が他の人を鑑定するということは、そのときは全く考えてもいなかったけれど、

たとえ、仕事ではなくても
自分が言ったことで誰かの人生を曲げてしまうようなことがあったとして、
その責任を自分が負うのはわかる。
けれど、それが関係のない子どもや孫の人生を曲げることになるなんて、そんなことは許されないだろうと思ったのです。

どんなに心を尽くしたとしても、
自分の力量が足りずに間違ったり、
あるいは、思い違い、考え違いをしてしまうことはないとはいいきれない。
むしろ、誰にでも間違いはおこる。

算命学は厳しいことを言うなあ。と思いました。

同時に

とても、感動していました。

なぜ感動したかというと、

ある程度の勉強を重ねてきて、
人を鑑定するレベルに到達しようという人たちに向けて、
あるいは、それを仕事にしようと考えているかもしれない人たちに向けて
この話はされます。

これを聞いて、辞めていく方たちも少なからずいました。
あるいは、わたしは趣味でいいわ、という声も聞かれました。

算命学に限らず、
他の星占いにしても
チャネリングにしても
そういう類いの仕事だけでなく、
人の人生や命に関わる職業についている人たちは、
この、返り矢の可能性があります。

罪を犯していない人を罪人にしてしまったり、
罪ある人の弁護をして、無罪にしてしまったり、罪を軽くしたり、
間違った病気を診断したり、、、 すれば、
たとえ悪意はなくても、その人の人生を曲げてしまうことになります。

ほかの占いの教室や
チャネリングといわれるような手法や
あるいは、ひとを裁いたり、弁護したりするようなお仕事のジャンルにおいて、このような「心得」を聞くことがあるかどうかは知らないけれど、

わたしは、こういう話をちゃんと心得として、
すべての学ぶ人に向けて伝える算命学の考えや姿勢にとても信頼を持ったのです。
聞けて、知れて、良かった!と心から思いました。
知るということは、人を謙虚にすると思うのです。

そしてこのあと

わたしは、

当初は全くもって考えてもいなかった道へ足を踏み入れていくことになったのですが、

この心得を何度も何度も、考えて、考えて、
ほんとうに覚悟を持てるのか、自問自答しました。
自分の覚悟だけでなく、自分の先に繋がるものへ責任を持てるのかということも含めて、です。

そして決めたのは

この道を歩いている間、この心得を絶対に忘れまい、ということ。

そして、誤解を恐れずに言うならば、

人というのは、わたしごときの言葉で自分の人生を曲げられてしまうような、そんな弱い、力のないものじゃなくて、どの人も素晴らしい力があるって信じているから、私はその力を引き出せるようなサポートを、ツールとして、算命学や風水を使ってさせてもらっているにすぎないということ。

私たちは、

この地球に生まれてきたというだけで

他の人が生まれてくる可能性を奪って、

母の子宮を10ヶ月もの間独占してきた、ものすごい幸運の持ち主なんですよね。

それってすごい!!ことですよね。

そう思いませんか?



人生の岐路に立ったときの選択の基準 その①~算命学より

みなさん、こんにちは

真琴です。

先日、クラスで数理法を取り上げたのですが、
生徒さんたちの今の状況が現れていたので、それぞれが納得!でした。

今、算命学を学んでいらっしゃる方たちにはもちろんですが、
一般のみなさんにも、この基本の考え方は参考になるのでは?と思うので、
数理法から見る、人生の岐路における選択についてのお話です。

数理法というのは、

簡単にいえば、

自分が持って生まれた氣(宿命)や後天的に巡る氣を数字に換算して
自分自身やその時々の運勢を知ろうとする技法です。

算命学では

私たちが天(自然)から与えられた環境を
「数理氣図法」という技法で点数化して表す  
ことができます。

人間にとっての環境とは一体どのようなものを示しているのでしょう?
どのような環境が私たちの人生に影響を与えているでしょうか?

どの国に生まれたか?
何処に住まうか?  あるいは
どこで働くか?といった「場所」は大きく影響していますよね。

それから

どんな人たちと暮らしているか?
どんな友人たちと交流しているか?
誰と働いているか? といった「人間関係」も、もちろん影響していますね。

算命学では

どこで生活するか、  よりも

誰と暮らすか、
どんな人たちと日々交流しているか、

がより重要で、

職場がどこにあって、規模がどのようで、どんなシステムが備わっているか、

よりも

どんな人たちと働くか、のほうがより重要だと、

考えています。

算命学的には

人間にとって最も重要な環境は「人間関係」

ということになります。

そこで

先天の氣

すなわち、

その人が持って生まれた(天から与えられた宿命における)氣を

五つ(五行)に分けて、それを点数化します。

五行とは

木の氣
火の氣
土の氣
金の氣
水の氣

の五つです。

水の氣が多い人もいれば、火の氣が多い人もいます。
金の氣がゼロ点の人もいれば、金の氣が最も多い人もいます。

まずは自分が持って生まれた宿命の氣(先天の氣)には

どの五行が多いのか、少ないのか、
どれも同じくらい平均的にあるのか、
全く点数がでないものもあるのか、
ある五行だけが突出しているのか、を見ます。

これだけでもさまざま個性があります。
どれが良くて、どれが悪いか、はありません。
あくまでそれが自然の「あなた」(環境)
自然の「あなた」は どの「あなた」もそれぞれに素晴らしい! 
そこに善し悪しはありません。


自然の「あなた」(環境)を知ったなら、

その「あなた」を
最大に開花させて生きていくにはどういう視点をもてばいいのか


がとても大切になります。

けれども、

ここで問題になってくることがありまして、

それは

人間は本来なまけもの(楽して生きたいとおもう)だということです。

楽な、点数の低いところから手をつけ始めてしまうと、たくさんある、
点数の多いものが手に負えなくなり、
肉体としての人生が終わるまでに消化仕切れなくなってしまう、と算命学では考えているのですね。

一日か二日で終わる宿題は手をつけやすく、すぐにやる気になるのだけれど、
毎日ちょっとずつ観察したり、日記を書いたり、お天気を調べたりしないといけないものは、面倒です。
少しずつ積みかねて、毎日コツコツやって完成する宿題に後から泣くはめになった、という経験。

えーえー、わたしにはあります。(コツコツが苦手です)
みなさんはそんなことはありませんでしたか?

人生は、点数の多いものから、ちょっと苦労かな?と思うことから消化するのがおすすめなのです。

人生の岐路にたったとき
自分にとってなにを優先すると人生の満足感につながっていくのか、ということは

知っていてソンはない、と思うのです。

知っていて、あえて、選ばないのと
知らなくて、楽を選んでしまった、

のでは、相当な違いが出る
、と思うのです。

でもね、

たとえ、楽を選んでも、
あるいはそのときの選択がもしかしたら最善ではなかった、としても

いくらでも
なんどでも
修正はできるし、
それも人生だから、

まったくもって問題はない! と個人的には思っているのですよ。

思ってはいるけれども、

一方で、

人生、結構短いな~というか、
あるようで、時間はないよ、というのが

いまの年齢になった、わたしの、正直な感想でもあります。

だからね、

知るチャンスがあるならば、

こういう考えを自分の傍らにおいて置く、
ひとつの材料として迷ったときの指針にする、

ことができますよ


皆さんにお伝えしたいのです。


案外と短い人間のひとつの人生

せっかく生まれてきたんだもの

ショートカット(楽)できる(知ることで選択し直す時間をカットする)
ところはショートカットしてもいいのではないかしら?

人生には
ぜったいに
ショートカット(楽)できないことがあるから。

そこで、

その先天の氣をどのように消化していくといいのか
あなたに向いている選択の基準を
教えてくれるのが


数理八門法で点数化できる「あなたの生き方の優先順位」です。

続きはまた次回です。

(算命学をお勉強中のかたは、まずは自分の宿命にある五行を点数化してみてくださいね。)


2024年真琴の算命学イヤーリーディングについてのお知らせ

こんにちは

真琴です。

かなり長く暮らしている土地なのに、
知らないことが結構たくさん!!
あることに気づいて、
驚いたことはありませんか?

今朝は、地元の禅寺の紅葉がきれいというので出かけてみたのですが、
はじめて訪ねたこのお寺。
敷地がすごく広くて、びっくりでした。
入口がなかなか見つからない、という(笑´∀`)

「天嶽院」
すべてがとても美しくて
塵ひとつなく
隅々まで目がいき届いていました。
修行僧のかたたちが日々きれいにしていらっしゃるのだろうと
そのお姿が見えるような気がして

心が洗われました。

 只管打坐
ただ、ただひたすら坐る

この僧堂で修行されているのでしょうか。
一般向けの坐禅会もあるようで、一度足を運んでみたいと思いました。

冬は寒いですが、きりっと身が引き締まっていいものですね^^
12月にはいりました。

あっという間に年末になりそうです(..;)
気を引き締めていかないと、、、ですね。

みなさまお風邪などめしませんように、おきをつけくださいね。

さて、やっと本題にはいりますね。

毎年恒例の、
真琴の算命学イヤーリーディング
11月に父が旅立ち、今月は四十九日の法要や納骨が控えていることもあり、
2024年はどうしたものか、と迷っていてですね、、、
ただ、とてもありがたいことに、
待ってくださっている方々もいらっしゃるので、
募集を、ひっそりと
やらせていただくことにしました。
人数は限定で少しだけです。

① 40分コース 9000円
② 60分コース 12000円

(真琴の算命学個人セッションが初めての方は②のみの選択となります)

★ A:ライブセッション
  B:zoomセッション 
   のどちらかを選択してください。

★ご夫婦、ご家族、ご友人などお二人でご一緒に申し込みされる場合は
 それぞれに500円引きさせていただきます^^
 是非ご利用ください!

★★★件名に「2024イヤーリーディング」と必ず書いてください。

問い合わせ先は以下まで↓
お待ちしていますね♡
cksmz555@gmail.com

チコパン×クゲヌマのあんバター
片瀬の一菓さんのあんこと天然酵母の生地とバターが絶妙なバランスなの

チコさんのパンはどれを食べても
ものすごおく、幸せになること間違いなしです♡
人を幸せな気持ちにするものは素敵です。
是非一度ご賞味あれ。


作り手の思い~身体が整うお茶

作りての思いが伝わる逸品でした

「癸卯」とあるので、おそらく今年の茶葉。

今年
台湾にあるこの茶園 「川風堂」は壊滅的打撃を受けて
ほとんどの樹がだめになったと聞いていた。

そのように大変な時に
祈られ
天地の恵みを受けてできた茶葉。

これまでいただいてきたどの烏龍ともまったく違う
味わったことのないようなフルーティさにおどろいた。

軽やかで
やさしく
懐かしい温かみのあるお茶

そしてこのお茶はのむと身体が整う。
毎朝の儀式のようにいただいている。

いつかこの茶園を訪れたい

龍択寺 観楓祭へ

11月23日、秋晴れの日、龍択寺の観楓祭へ行ってきました。
コロナ下は中止となっていたため、4年ぶりの開催です。

龍択寺は平安時代に弘法大師によって創建されたのですが、その後廃れてしまい、900年もの時を経て、日本臨済宗中興の祖・白隠禅師によって江戸時代中期1761年に再興、禅寺として開山されました。
けれども、お寺はまたもや廃れ、大正時代に山本玄峰老師によって復興されます。

お寺の毘盧蔵に保管されている経典や書物、掛け軸などを、観楓祭として一日だけ、虫干しを兼ねて一般公開されるのですが、
行ってみてびっくり!!!

白隠禅師の画、一休宗純・円山応挙・良寛などなどなどの、目を見張るようなお宝ばかりが処狭しと並んでいました!!!

白陰禅師の書画だけでも20点ほどはあったのではないかしら?
筆の迫力に圧倒され、なんとも言えないあたたかみやおおきく包み込まれるような深さを感じて長く作品の前で坐ってしまったことも。

あまりにすごい作品がこれでもかと続くので、だんだん頭がくらくらしてきます(笑)

応挙の描いた富士
見て描いたのではない、生まれいでたる霊画(←こんな意味のことが説明文に)とありましたが、胸にせまってくるものがありました。

びっくりして、息が止まりそうになったのは!!先日逢いに行った倶利伽羅不動ご本尊が御軸に描かれてあったこと!(実はようく見ないと気づかない、ほんの一点のみ違っていましたが)
倶利伽羅不動ご本尊は空海作とつたえられていますが、龍択寺はもともと空海さんが創建されたお寺なので、なにかご縁があるのでしょうかね・・・

まさかのご対面でした。(あ~~どきどきした・・・)

とてもありがたかったのは、お寺の開山堂には白隠禅師や玄峰老師像など4人の等身大と思われる老師像が安置されていてご挨拶ができたことです。

龍択寺は禅宗の道場であるので一般参拝は受け付けていませんし、修行が行われている接心の期間は境内に入ることもできません。

ですので、一年でこの一日だけ、美しい境内やお堂の中に入れていただけて、これまでどれだけたくさんの方たちが修行を積んでこられたのだろうか。。という歴史を感じながら貴重な書画を拝観できる特別な機会。

10年くらい前に古本屋さんで偶然手にした「無門関提唱」に載っていた玄峰老師の笑顔があまりにも美しくて、それに魅せられて買った本でしたが、今では大切な本になりました。
この本に出逢ったおかげで龍択寺を知ることともなったのですから。

その玄峰老師、そして白隠禅師のお墓にもお参りすることができて
ほんとうに佳き一日となりました。