作りての思いが伝わる逸品でした
「癸卯」とあるので、おそらく今年の茶葉。
今年
台湾にあるこの茶園 「川風堂」は壊滅的打撃を受けて
ほとんどの樹がだめになったと聞いていた。
そのように大変な時に
祈られ
天地の恵みを受けてできた茶葉。
これまでいただいてきたどの烏龍ともまったく違う
味わったことのないようなフルーティさにおどろいた。
軽やかで
やさしく
懐かしい温かみのあるお茶
そしてこのお茶はのむと身体が整う。
毎朝の儀式のようにいただいている。
いつかこの茶園を訪れたい
作りての思いが伝わる逸品でした
「癸卯」とあるので、おそらく今年の茶葉。
今年
台湾にあるこの茶園 「川風堂」は壊滅的打撃を受けて
ほとんどの樹がだめになったと聞いていた。
そのように大変な時に
祈られ
天地の恵みを受けてできた茶葉。
これまでいただいてきたどの烏龍ともまったく違う
味わったことのないようなフルーティさにおどろいた。
軽やかで
やさしく
懐かしい温かみのあるお茶
そしてこのお茶はのむと身体が整う。
毎朝の儀式のようにいただいている。
いつかこの茶園を訪れたい
11月23日、秋晴れの日、龍択寺の観楓祭へ行ってきました。
コロナ下は中止となっていたため、4年ぶりの開催です。
龍択寺は平安時代に弘法大師によって創建されたのですが、その後廃れてしまい、900年もの時を経て、日本臨済宗中興の祖・白隠禅師によって江戸時代中期1761年に再興、禅寺として開山されました。
けれども、お寺はまたもや廃れ、大正時代に山本玄峰老師によって復興されます。
お寺の毘盧蔵に保管されている経典や書物、掛け軸などを、観楓祭として一日だけ、虫干しを兼ねて一般公開されるのですが、
行ってみてびっくり!!!
白隠禅師の画、一休宗純・円山応挙・良寛などなどなどの、目を見張るようなお宝ばかりが処狭しと並んでいました!!!
白陰禅師の書画だけでも20点ほどはあったのではないかしら?
筆の迫力に圧倒され、なんとも言えないあたたかみやおおきく包み込まれるような深さを感じて長く作品の前で坐ってしまったことも。
あまりにすごい作品がこれでもかと続くので、だんだん頭がくらくらしてきます(笑)
応挙の描いた富士
見て描いたのではない、生まれいでたる霊画(←こんな意味のことが説明文に)とありましたが、胸にせまってくるものがありました。
びっくりして、息が止まりそうになったのは!!先日逢いに行った倶利伽羅不動ご本尊が御軸に描かれてあったこと!(実はようく見ないと気づかない、ほんの一点のみ違っていましたが)
倶利伽羅不動ご本尊は空海作とつたえられていますが、龍択寺はもともと空海さんが創建されたお寺なので、なにかご縁があるのでしょうかね・・・
まさかのご対面でした。(あ~~どきどきした・・・)
とてもありがたかったのは、お寺の開山堂には白隠禅師や玄峰老師像など4人の等身大と思われる老師像が安置されていてご挨拶ができたことです。
龍択寺は禅宗の道場であるので一般参拝は受け付けていませんし、修行が行われている接心の期間は境内に入ることもできません。
ですので、一年でこの一日だけ、美しい境内やお堂の中に入れていただけて、これまでどれだけたくさんの方たちが修行を積んでこられたのだろうか。。という歴史を感じながら貴重な書画を拝観できる特別な機会。
10年くらい前に古本屋さんで偶然手にした「無門関提唱」に載っていた玄峰老師の笑顔があまりにも美しくて、それに魅せられて買った本でしたが、今では大切な本になりました。
この本に出逢ったおかげで龍択寺を知ることともなったのですから。
その玄峰老師、そして白隠禅師のお墓にもお参りすることができて
ほんとうに佳き一日となりました。
先日京都での勉強会を終えて、
一路、福井に向かいました。
とってもとっても 逢いたかったおかた♡
倶利伽羅不動さま(ご本尊)に逢いに行ってきました。
福井で途中下車泊して、翌朝はサンダーバードには乗らず、
のんびりと北陸を味わいながら在来線で金沢へ。
鉄ちゃんの夫くんの影響でしょうか。
目的地に速く到着するのもいいけど、時にはそうじゃない、
のんびりとした列車の旅もよいものですね^^
秘仏であるご本尊さまが5年ぶりにご開帳のこの秋
19日の日曜までだったので、ぎりぎりでした。(次は3年後です)
お山の上に本堂があり、結構へんぴなところです。
津幡駅のタクシーの運転手さんが、
一人で倶利伽羅不動に行くという女性はこれまで一人しか乗せたことがないくらい珍しいと。
初めて行く、というと20分くらいの道中、いろんな事を説明したり、
教えてくださったりしてお話がはずみました。
雨がふっていたこともあって、とても親切に、
傘はもっているのか?とか
お寺にはないパンフレットがあるから持って行きなさい、とか言ってくださり、
メーターが上がりそうになる前に料金ボタンをとめてくださって、
30分くらいで戻るならサービスで待っていてあげるよとまでおっしゃってくださったけれど、30分でお参りできるとは思えなかったので、またお電話させてもらうといって車からおりると、わざわざ運転手さんもおりてくださって、
気をつけていくのだよ、
階段が雨で濡れているから転ばないように、と、
涙ぐみながらおっしゃって・・・。
父にまた逢えたような気持ちがして(父よりずっとお若いですが)
なんども、なんども
ありがとうございます
と繰り返しながら、背中をむけたとたん、
わたしも思わず泣きそうになってしまいました。
お寺は
ちょうど私が行ったときは、人が誰もいなかったこともあり、
お寺のかたが丁寧に説明してくださいました。
そして
30分以上もの長い間、倶利伽羅不動さまとふたりきり。
間近で対面させていただけて佳き時間を過ごしました
帰ろうとして、本堂下でタクシーを呼ぼうかな、と思っていると、呼び止められ、山頂の本堂とはかなり離れたところにある倶利伽羅不動寺の鳳凰殿にいって、食事をして帰るところだという地元の方たちでした。
父が現れたのか、と(もっともっとお若いけれど)思えるようなお方とお隣さんだという女性。
思いがけずご一緒させていただくことになり、
鳳凰殿も拝観することができて、
道の駅でお食事をして、地元の美味しい物をおしえてもらって
お買い物までできて、駅まで送ってくださったのでした。
お不動様が素晴らしかった
のはもう、もう、
言うまでもありませんが、
ひとさまの情(こころ)がほんとうに身にしみてありがたく思った旅でした。
富山行きのローカル線から見えた美しい虹
わたしも、次に、どなたかに、この情(こころ)をお渡ししていきたい
と思いました。
写真は一枚もとらなかったので、倶利伽羅不動寺さまが撮られたお写真を載せておきます。
もちろんご本尊さまのお写真はありません。秘仏ですからね。
大切な人と
いずれやってくる
最後の会話のとき
あなたはなにを話しますか?
<ご報告>
11月1日、満93歳で父が旅立ちました。
お心を寄せてくださった皆様、
ありがとうございました。
父を見送り、ひとりになって、しみじみとおもうのは
出逢ったことをほんとうの意味で味わうのは
その人に、もう触れることができなくなってからなのかもしれない、
ということ。
父への思い。
自分の道。
その両方の間で揺れて、
考えても考えても、
祈っても祈っても、
答えが見つからなくて、
どちらを選んでも心が痛くて、
その痛みとともに日々を過ごし続け、
誰かに、なにかに、すがりたかったとき、
「自分だったらどうするか。考えても考えても、わたしも答えが出なかった」という朋のことばに
涙があふれ、とても慰められたことがありました。
考える、ということは、
揺れ動く心のままに、そのままに
問いを生きることなんですね。
93歳、大往生といえる年齢で、
「地球卒業おめでとう!」って笑って祝ってあげられる、って思っていたけれど、もちろんそういう気持ちもあるけれど、
母も父も逝ってしまった今、なんだかもぬけの殻になってしまったような感覚で自分がひどく頼りない感じがしています。
宮澤賢治の詩が心に沁みます。
もうけっしてしさびしくはない
なんべんさびしくないと云ったとこで
またさびしくなるのはきまってゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさと悲傷とを焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ
この詩(うた)が大切な人をなくした誰かに届くといいな♡