月別アーカイブ: 2022年7月

思い込みと思いやり

ナチュラルスピリット社から創刊された新しい雑誌「岩戸開き」

日木流奈くんの「今後の世界や生き方について」のお話がとても良かったので
一部を紹介しようと思います。
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人が世界を語るとき、それは人の営みを語るにほかならない。

私の語ることは、風のように聞き流し、そよ風のように感じてほしい。

冒頭からぐぐぐっと染みいって、心をつかまれる。

全部を紹介したいけれど、それはできないので、今後絶対に忘れずに心に留め置きたい、とおもったお話を。

思い込みと思いやりについて

事が起きている真っただ中にいる人々の思いを、憶測で自分勝手に思い込むことは傲慢なことだ。

(中略)

人の痛みの強さ、悲しみの深さは、本当にさまざまだ。
それを受け止めるには、思い込みではなく、思いやりが大切だ。
何度も言うが、人の気持ちをかってに想像した自分の思いを「思いやり」だと
勘違いするのだけはやってほしくない。

当事者ではない私たちができることは、ただ寄り添い、思いをはせ、受け止めるだけなのだ。
そして自分たちができることを試行錯誤するしかないのだ。

時として、やり過ぎたり、いらないこともしてしまうかもしれない。
それでも、やってみるしかないのだ。
何が必要で何が大切かを尋ね、思いを聞きながら。

流奈くんは、事が起きたとき、直接その事の中にいる「当事者」と
外から見ている「当事者ではない人」とでは学びの道が違っている。と言っている。

ほんとうにそうだと思う。

時として、優しさという名の下に、人の気持ちを勝手に
想像し、それをおもんばかっていると勘違いしてしまうことをしていないか、
よくよく自分を観察し、このことを戒める必要があると心に刻む。

それは、日常からその心がけが大切だ。

自分の思いをちゃんと伝えること。
そしてありのままに相手の話、思い(気持ち)を聞くこと。

簡単そうでとても難しい。。。

読書三昧

最近ちょっと体調が思わしくなかったこともあり、、
といっても特定の病気になったわけではなく、、、

暑さ(湿気)にやられているのか、
眠気とだるさがとれなくて、
仕事以外はあまり出かける気にもならず、、、、

そうすると

このときとばかり、ついぽちっと押してしまい、

本が届く、届く。。。(笑´∀`)

涼しいところでしばらくは読書にいそしみます。

また次の時に、どんな本を読んでいるか、紹介したいと思います^^

ところで、

洋書でしか読めない物もあり、悩んだ末にぽちっと押したら

円安を痛いほど感じましたとさ。

30ドルに満たない本が、送料こみでなんと5000円ちかい!!!

Kindleが苦手だと、辛いですね。

みなさん、海外からのものは気軽にぽちっとできませんことよ。

iHerbとかも今輸入は高いですものね。

皆さんはどんな本がお好みですか?
お勧めの本などありますか?

高橋巌先生から学ぶこと(防備録)

日本におけるシュタイナー研究の第一人者として知られる高橋巌先生。

私にとっては、シュタイナーの本の翻訳をされているので、お名前は存じ上げているのですが・・・という存在でした。

しばらく前に、かなり古い先生の講演録を読ませていただく機会がありました。

そのお話がとても素晴らしかったのです。

紡がれている言葉がとてもすてきで、味わい深いので、紹介したいと思います。

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いわば暗闇の中を手探りで歩いている私たちの心にもっと認識の光が輝くようになるためには、教育、もしくは自己教育が必要になってきます。

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・・・・・・・・・・・(中略)
教育と同時に第三に「修行」ということが問題になってきます。
私たちは生涯、何らかの意味で自分を教育していく必要があるのかもしれませんけれども、しかし、成人した後では、自分の魂の在り方を新しく作り変えるために、教育の方向とは別に、修行ということが色々な形で問題にならざるを得ないと思うのです。
「修行」という言い方は、宗教臭い表現ですし、何か禁欲的な響きもあるので、言葉としては適切でないかもしれませんが、しかし宗教に限らず、ある特定の道を見出した場合に、その道の目標に向かって障害を乗り越えて歩いて行く態度を、広い意味ですべて「修行」と言えます。
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ですからその場合のシュタイナーの目標も、同じように地上の現実ではなく、その背後にある別な現実です。
そのような意味で、治療と教育と修行とは、同一関連の下に考察すべきものです。
つまり、肉体の次元から精神の次元への方向性を考えるときに、治療と教育と修行とは、同じ道の上に現れてきます。

高橋巌「ユングとシュタイナー」より

高橋巌先生、昭和のはじめのお生まれなので、すでに90歳をすぎていらっしゃいますが、とてもお元気で講座をされています。

一度講座を受講したいと思い、昨日でかけてきました。

二時間の講義の間、ずっとお水さえも口にされず(会場が会場内での飲食を禁じていました)、休憩なしでお話をされる姿にまず感動。
私のような若輩ものが、身体がだるいなどといっている場合じゃないな~と、
(これは根性論ではなく)、気合いというか、なんというか、事(使命)への思いが全然たりないと思いました。

シュタイナーは、難しいな~という印象があったのに、高橋先生にお会いしたい、という思いだけで参加したので、初めて参加して途中で眠くなったらどうしましょう、と内心ひやひやしていたのですが、いやいや眠くなるどころか、どんどん引き込まれていきました。

ひとつひとつ丁寧に言葉を紡ぎ、どのように考えていったらいいか、どのように捉えたら良いのか、優しく、けれど説得力のあるお話を聞いて帰ってきて、再度上に紹介した文章を読んでみると、まるで高橋先生が目の前でお話しくださっているように読めるから不思議です。

ちょうど内容がシュタイナーが1910年にベルンで行ったマタイ福音書講義12講の第一回目でした。
興味深い内容なのでこれからじっくり一年?二年?くらいかけて学んでいきたいな~と思っています。

そして先生の「教える」という姿勢から私が学ばせていただくことがきっとたくさんあるのではないか、というふうに感じています。

とてもうれしいご縁をいただきました^^