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顕神の夢ー幻視の表現者 圧倒的世界をみた

鎌田東二先生が監修された展覧会

「顕神の夢ー幻視の表現者ー村山槐多、関根正二から現代まで」
@岡本太郎美術館 を19日日曜に見てきました!!

今週末(25日まで)までで、残りわずかなので、ぜひとも紹介したいという気持ちはあふれるのに、
あまりにも圧倒されて、胸のあたりがグワングワンしていて、コトバにできずにいました、、、、(..;)

『見逃すと一生後悔するレベルの展覧会』だと保証します、と評していらっしゃる先生がいらして、ならば!!と観にいったのですが、
とにかく、とにかく、とにかく、

見て良かった!!と思いました。

展覧会は全部で5章から構成されていました。
第1章では、「何か」に憑かれるという「神懸り」の経験から生まれるような作品に着目しています。
展示の一番最初に現れたのは、
出口なおの「お筆先」
文字が書けなかった出口なおさんが初めて書いたとされる作品です!!
出口王仁三郎の「巌上観音」をはじめとする3作品

画像
出口王仁三郎 巌上観音

続いて岡本天明の「三貴神像」
そして金井南龍の ≪妣(はは)の国≫

息をするのも忘れてしまっていたんじゃないか、って思うほど圧倒されるものがありました。
ひとつひとつの作品がこれまでどれだけの人たちに衝撃を与え、人を表現の道へといざなってきたのかと感じざるを得ないある種の霊力のようなものをもった作品が目の前に繰り広げられているのだけれど、さらなる衝撃はこのあとにやってきました。

第2章では、普通の人では感知しえない「何か」を幻視する作家を紹介しています。
人間を超越した「何か」がもたらすもの、その何かと表現者の関係性に着目して、江戸時代から現在にいたる日本の作品を有名、無名にかかわらず紹介しています。

村山槐多 バラと少女
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古賀春江《サーカスの景》

3章、4章では、内的光を求めたもの、神、仏、魔を描いたものを。
江戸時代の円空の十一面観音像♡
ご神木と向き合い、そのなかの神像をとらえたものなど、自然の中の神を表現した作品たちもとてもよかった。
素戔嗚がテーマになっているものも多くありました。

これはとても好きな作品のひとつです。
「孤高の画家」「蠟燭の画家」として知られる 高島野十郎の 「蠟燭」
じっと見ていると蝋燭に照らし出される自分の奧と対峙しているような感覚になります。どれだけの時間、蝋燭を見つめ続けて描き続けたのだろうかと思います。
そして、野十郎は「蝋燭」を生涯にわたって描き続けながらも、決して展覧会に出すことも、売ることもなく、自分にとって大切な人へ感謝の気持ちを込めて一枚一枚手渡したのだそうです。

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この展覧会に出品されているある作家さんが

孤独というのは、神とか超越的な物と人間との垂直の関係であり、
この会場にあるのは孤独に対応した作品ばかりなんだとおっしゃっていまして、
なるほど、と思いました。

すさまじい狂気を感じる作品も数多く、
「何か」がやってくるのを待ち、その「何か」に触れて、それを生み出していく瞬間というのはきっと狂気に近いものなのではないかとさえおもいました。
探究者たちの叫びが聞こえるようでした。

ものすごく集中して見たのと、作品が放つものすごいパワーに、後半ばてばてになってしまいました。。苦笑
体力勝負です。

画像
牧島如鳩《魚藍観音像
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中園孔二《無題》

約140点の作品すべてがすごい迫力でせまってきて、コトバも発せられず、
圧倒され続けました。

第五章の最後の最後に、岡本太郎、草間彌生、横尾忠則といった、超メジャーな
しかも色使いや形がとってもインパクトがある方たちの作品が並んでいるのですが、
それがね、ものすごく「ふつう」に見えるんですよ。

やっと「ふつう」の世界に帰ってきた!という奇妙な安心感さえ感じました。
ここでも、思いがけず宮沢賢治の作品にも再会して、岩泉~花巻~宮古の旅以来、賢治を身近に感じているわたしです。

ぞわ~~っとする感じがマックスになった作品のひとつ

舟越直木《マグダラのマリア》

写真は撮影禁止なので、これらの作品の写真はおかりしてきたのものです。

展覧会は6月25日(日曜日)までです。

手で考え足で思う 河井寛次郎記念館へ 

昨年のこと、河井寛次郎さんの本と出逢った。


「手考足思」
手で考え、足で思う。
河井さんの実践哲学、が表現されていた。

『驚いている自分に驚いている自分』とは河井さんのコトバだけれど、
この本はまさにそういう本だ。

「火の誓い」というエッセイの中の序で河井さんはこう語っている。

『人は物の最後の効果にだけ熱心になりがちである。
 そして
 物からは最後の結果に打たれるものだと錯誤しがちである。
 しかし実は、
 直接に物とは縁遠い背後のものに一番打たれているのだ
 ということのこれは報告でもある。』



文章を読むとき、その行間に込められている思いや
人の言葉の背後にあるもの
美術館や博物館で出逢う作品の奥にあるものに触れたいと思う。

ものごとの奧が知りたい、
この世界の真実が知りたい、
と、求めてやまないものがある。
そして、
その道は終わりがないのだろうと思えていたとき、

『ここに集めた章句は
 色々なものの裡に隠されている背後のものを求めての歩みの一部だ』
と書かれた、その本に出逢えました。

河井さんの作陶や文章のなかには、とてもはげしい、というか、熱量を感じるものが数多くあります。

たとえば、

手馴れた仕事や目星の附いた仕事に自分を嵌め込んでいくようなことは
恥ずかしい事だ。
繰り返しの仕事や焼き直しの仕事は恥ずかしい事だ。
附けられた道を歩くだけで、新しい道を開くことに不精することは
恥ずかしいことだ。
自分は何処まで行けるか。
もっと気を附けていえば、人は何処まで行き得るか。
行ける処迄行ってみることは人として甲斐あることだ。

と。
これは、その人の精進を歓び、讃え、
さらにはそうしてうみだされたものがその人だけの成功であるだけではなく、
遍満する無数の生命の成功であり、
かつてあったいのち、今あるいのち、次に来るいのち、
それがことごとくその精進から祝福を受けるのだと、言う。

河井さんという方は、
ほんとうに深く、
人間そのもの、また、人生そのものを讃えて
日々を暮らしていらっしゃったのだ、と
胸が熱くなりながら、そのコトバをかみしめる。

またあるときには、棟方志功さん、その仕事について
多くのコトバを残されている。

『君は君の身体から「私」をひきさったのではないかと。
小さい私。
よごれた私。
間違い私。
ごまかし私。
一切の「私」を引き去ったあとに残るものは何か。
君はこういうことを示してくれてもいる。。。』

棟方志功さんの仕事に対する姿勢や作法にふれた章は、
形を変えた「手考足思」
そして、その文章に触れた人は、きっとわたしのように、
改めて棟方志功さんの仕事に触れたいと、こころから思ったであろう。

河井さんのお嬢さんである須也子さんがこう語っている。

『借りている生命を、なんらかのかたちで、人々や物の恩恵に応えようとした父だと思わないではいられない。
もらった生命を思い切り使わせてもらい、初心の志を奉じ、無我夢中で仕事に励み、無位無冠のまま、寸刻を惜しみ「ものつくり」に喜々といそしみ、まさに
不合理や不条理さえ大調和の世界と観じ、仕事に仕え、常に歓びを人と共に分かち、ひたすら美の発見に全生命を捧げやまなかった。』

だからこそ、ずっと訪ねたい場所だった、京都の河井寛次郎記念館
数々の情熱的な作品を生み出された創作の場であると同時に、素であることを尊び、すべてに丁寧に愛情を込めた、しずかな、とてもしずかなこころを発見する暮らしの場であった。

家の中を歩いているうちに不思議な涙が頬をつたった。

血液がからだのすみずみにまで流れていくのがありありとわかるのだ。
なんともいえないぬくもりがからだをつつむ。
河井さんが使われていた書斎の机。椅子にすわってみる。
窓から見える空が沁みる。

仏様も花器もそこにいけられた花も、縄で編んだつるべや、いろりの鉄瓶。
庭の片隅のドクダミの群生までもが全体と調和しているように見えた。
藤棚の下の椅子に座って日がな一日本を読んだりお茶をのんだりしたくなる。

それはそれは温かく、ぬくみがある。
どこからながめても、美しくて、おろそかにされているものがないのに、
その居心地の良さといったら!!
お行儀良くしてなくてはいけないなんて微塵も感じなくて、やすらぎ、くつろげる空間。

そのときからだが教えてくれた。

ああ、この感覚。
すべてに意識が行き渡っているってこういうことなんだな~~と。

頭ではなんとなく理解できる。
いや、理解できるような気がする。
だけど実感として、確信をもって、腑に落ちてなかったことにこたえをもらえたように思った。

河井寛次郎記念館

人間国宝や文化勲章に推挙されても応じることなく、
一陶工として、独自の陶芸美の世界を切り開いただけでなく、
焼き物の枠を超えた無私普遍の自在な造形世界にみずからを燃焼させた、と
言われる河井寛次郎さん

背後のものを求める探求者にとって、著書にも深く、深く学び、感じるものが
ほんとうにたくさんあった、忘れ得ない出逢いのひとつ。
あらためて覚え書きの今日。

みなさんも行かれたら是非感想を聞かせてくださいね。


玉三郎さん特別舞踊公演に感動

MOA美術館創立40周年記念
熱海座 能楽堂で行われた
板東玉三郎さん特別舞踊公演の千秋楽を観にいってきました^^

芸術の秋
探求の秋
玉三郎さまの特別舞踊公演を初めて観させていただきました

もーもーもー(牛ではありません)
感動、感動、大感動!!! 

重要無形文化財である玉三郎さんの

立ち姿
歩く姿
座り方
廻り方
足の運び方
重心のかけ方

首と名のつくすべての箇所に

目が釘付けになりました!!

円熟した芸の、
ひとつひとつの動作に、
これまで積み重ねてこられた、ものすごい深みや重みを感じるのに

真逆のごとく、
削ぎ落として、削ぎ落として、削ぎ落としつくした軽さがありました。
無駄な力がはいってない、ってこういうことなんだなあ!!!!!
って、
理屈とかじゃなく、わたしにもわかるほどの、軽やかさなのです。

なんて、美しく
なんて、やわらかく
なんと見事なことよ

語彙がたりないせいで素晴らしさが伝えきれなくてもどかしいですが。。
最初の口上で、魂がわしづかみにされました。

舞台で聴く肉声はすごいです。
しかも舞台正面の席という、ありがたさでした。

一流の方というのは、ほんとうに謙虚で、
その謙虚さは
言葉のはしはしに滲み出てくるものなのだな~と実感しました。

興奮さめやらず、夜もなかなか寝付けない、ということを
まざまざと体験した一日でした。

すべての縁起に感謝です!

羽生結弦さんのアイスショーに行ってきました!!

横浜ぴあアリーナで開催された、羽生結弦さんのプロ転向後初の!
しかも、
これまた初の!
ワンマンアイスショーに行ってきました。

アリーナ席一席のみを抽選にかけたら、なんと、奇跡的に当たりました。

いいもの見たぁぁぁぁ!!!っていうひとことです♡

写真や動画撮影は禁止なので、これは前日にメディアで撮られた写真です

フィギュアスケートは昔から好きで見てたけど、
なまは
なまは
すごかった

90分のプログラムをひとりでやりきる体力を
(しかも2日続けてだよ)
養ってきた、と語っていたけれど、
まさに羽生くん自身が「プロのアスリートとして」と言っているそのまま。
アスリートでした。

天賦の才能に加えてどれだけの手入れと努力を積み重ねて来たのだろうか・・・
自身を磨き続ける、進化し続けようとする姿がそこにありました。

氷と音楽と一体化したからだが自在に舞っていく。

奥の奥から伸ばされた手は、
きっと3階で立ち見をしていたひとたちにも届いて、
みんなのハートに届いたに違いない。

なんども鳥肌が立った。

シューという静かで美しい、氷を削る音までが調べのように聞こえてくる。。

自身で振り付けたという、新プログラム「夢の終わりに」

氷の上だということを忘れてしまうような、
なんというか、不思議な世界にいってしまったような、
幻想的で身震いするような美しい舞だった。


おとなりのおねーさんは、最初から最後まで泣いていたけれど

気持ち、わかる。

興奮したままぴあアリーナを動けず

わたしはいま、ふぬけです(笑) と、友にメールを送った。

ふらふらと、ぴあアリーナ二階のカフェにはいり
11月限定のパンケーキを食べて
ようやく現実に戻ってきた、わたしでした。(笑´∀`)

11月限定のパンケーキ

シナモンとジンジャー、ラ・フランス
大人な味わい でした。

帰り道の満月を三日後に迎える月がきれいでした。



羽生結弦さんのアイスショーにいってきます

羽生結弦さんがプロ転向後初となる、アイスショー

全席抽選とあったので、
( おそらく、、だけど、先着順とかではなく、できるだけ公平にいろんな人にチャンスがあるように、という配慮だったのでは?と勝手に想像)
どうせ観るならアリーナ席で、と、たった一席のみ申し込みしてみたら、
なあんと!!!当たりました。

一度は、
生で、
次元の違う、
あの、演技を
観てみたい!!
と思っていたのですが、
初めての抽選参加であたるとは・・・

なんと、幸運な♡

「職業 羽生結弦」と言い切ったかれの、
たった一人で滑り切るワンマンショー。
タイトルや演技構成も自ら考案という、
飽くなき挑戦を続ける、探求するひとのアイスショーに立ち会えるなんて
いまからわくわくします♡

公式サイト「プロローグ」より 羽生結弦メッセージ

これまでの僕の歴史やスケート人生そのものを
感じていただけるようなものを、という思いから、
アイスショーを企画しました。
初めて僕一人ですべてをやりきるアイスショーになっています。
タイトルは、「プロローグ」。
「これから、いろいろな物語が紡がれていくといいな」、
「このアイスショーが、その物語の“プロローグ”となるように」
という思いとともに、全力でむかっていきます。

羽生結弦