3月2日から6日までは大人の修学旅行(^◇^)
前半は数日前のブログにも書いたように若狭へ。
お水送りの儀式に参加し、龍宮伝説、空海伝説、徐福伝説の地を
巡ります。
実はこの後、4月には宮島へ行くことになっており、龍宮クルーズをします。
なんだか龍宮に呼ばれているようですね。
亀に乗れたりして??(笑)
後半は長崎~福岡へ
長崎はかの!アンデルセンへ。
初、アンデルセンですわん^^
そして
福岡では宗像三女神の宗像大社へ
今回はこの宗像大社の奥宮がある沖ノ島の話です。
「海の正倉院」とも言われる、古代遺跡が眠る沖ノ島
玄界灘のまっただ中にある孤島です。
行くことは出来ないけれど原生林も残る自然と古代遺跡の宝庫な島。
この孤島からなんと12万点もの国宝重要文化財が発見されています。
沖ノ島からは、4世紀から9世紀に掛けて大和朝廷の祭祀に用いられた鏡、曲玉や馬具、鉄製品のほか、朝鮮半島製の金製指輪や、中国製の金銅製龍頭、唐三彩の焼き物、遠く西アジアのガラス製品など、大陸のシルクロードからの多数の品々が発見されています。
卑弥呼の秘密もあったりなんかして・・・
これほどまでの貴重な品が現代まで遺されていたのは、古来から自由な立入りが禁止されていたからで、島に滞在が許されるのは、宗像大社の神官ただ一人であり、女人禁制となっています。
男性にしても、一般人の立入りが許されるのは、1年1回だけとなっており、上陸の際には全裸で海に入って禊(みそぎ)をする必要があるそうです。
また、「不言様(おいわずさま)」といって、沖ノ島で見たり聞いたりしたものは、一切口外してはならないという掟や、「一木一草一石たりとも持ち出してはならない」という数々の厳しい掟まで存在しています。
セドナに行ったとき、聖なる場所(古代祭祀場として原住民の人たちが使っていたところ)は同じような掟(ルール)がありました。
ただし、女人禁制ということはなく、誰でも行けましたが。
沖ノ島の海底には、人工的な階段や壁、広場のようなものも見つかっており、まさに謎の多い島です。
島全体は、宗像大社の三宮の一つ「沖津宮」の神領となっており、
「神が住む島」として信仰の対象となっています。
宗像大社は、天照大神の三柱の姫「宗像三女神」をお祀りしていますが、沖ノ島の沖津宮には田心姫命が鎮座されているのです。
《宗像三女神》
田心姫神(たごりひめかみ)沖の島・沖津宮(長女)
湍津姫神(たぎつひめかみ)大島・中津宮(次女)
市杵島姫神(いちきしまひめかみ)宗像市・辺津宮(3女)
江の島神社も宗像大社と同じ三女神をお祀りしていますが、
三女は辺津宮 田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)
次女が中津宮 市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)
長女が沖津宮 多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)
となっていて、 次女と三女が入れ替わっていますね。
これは古事記と日本書紀の違いのようですね。
秀真伝えによると、
田心姫・湍津姫・タナコ。
ハヤコの生んだ、タケコ(奥津島姫)・タキコ(江島姫)・タナコ(市杵島姫) の三つ子の姫。
イトウの三女神。宗像三神。
アマテルが床酒にハヤコを召して婚いだ夜、十握の剣が三つに折れるが、寄り集まって一つにまとまるという夢を見る。その後ハヤコが三つ子の姫を生んだので、三女の斎名の頭にそれぞれ「タ」の字を付けたという。
ソサノヲとモチコ・ハヤコの不倫に気づいた内宮セオリツ姫によって、モチコ・ハヤコと共にウサ宮のアカツチに預けられるが、モチコ・ハヤコは逃亡したため、セオリツ姫によって派遣されたトヨヒメ姫アヤコによって養育される。その後は自らの意志でしばらく流離ったと記されている。
市杵島姫神
神名の「イチキシマ」は「斎き島」のことを指し、神に斎く島の女性という意で「いちきしまひめ」。
本地垂迹においては仏教の弁才天と習合し、同神とされました。
広島県の厳島神社の祭神でもあり、「イツクシマ」という社名は「イチキシマ」が転じたものと言われています。
いずれにしても沖津宮は島そのものが竜宮であり、海を守る神と
されていますが、古には島に幽閉されたのだと思います。
この海底には地下神殿でもあるのではないでしょうか?
わくわくしますね。
ものすごい歴史がこの海底に眠っているようにさえ思います。
興味深いですね~~訪れるのがとても楽しみです。
(本当は島に行きたいのですが。。女人禁制ですのでね)
それではいってきま~~す