照手姫さまが我が家に 小栗判官と照手姫伝説

スーパ―満月の前日の昨日は体調が絶不調。
前回の食と重なった新月前もそうでしたが、今回も来ました。
昨日お財布を忘れて出かけてしまい、(ほんと、どじですわ)
お金がないんだから家に帰ればよかったのに、
家で身体を休めなさい、というメッセージだったかもしれないのに、
親切な言葉に甘えてしまったわたし、どんどん具合がわるくなってしまって、夜まで大変でした。

おんなじこと、新月前の体調崩した時にも書いたな~~
なんと同じ失敗を繰り返していることよ!!

このところの大きな変化というか変容に身体はついていくのが大変。

だからもっと身体をねぎらってあげなければいけなかったな~と
猛反省しきり。
身体が欲するものも頭が欲しがるものとは違っていたりするのに
まだまだ身体の声を聴いてあげない時があるな~~

今日は身体に感謝して、とことんねぎらいます!!

身体の調子の悪いみなさん、そのことで自分の身体を責めないで、
可愛がって、ねぎらって、感謝しましょうね。お互いに^^

さて、今朝はすっきりで、不調も収まったので今日は仕事はせず、
お散歩にでかけました。

通りがかりのお花屋さんで私を呼ぶ声が・・・

声の主は人ではなく、お花でした。

KIMG3004

あまりに可愛くて、どうしても気になるので自宅にお連れすることにしました。

花桃の名前は「照手姫」
包んでもらっていたらお花屋さんのお姉さんが、
「これは遊行寺(藤沢市にある時宗総本山です)にある有名な桃だそうですよ^^」

と言われたので、気になって調べてみると

小栗判官と照手姫伝説というのがありました!!

調べてみると、びっくりするような話が。。。
でも今までわたし、まったく知らなかったのですが、

この小栗判官と照手姫のお話はスーパー歌舞伎や宝塚でも
演じられていたのですね!!

伝説上の人物ではありますが、ウイキペディアによると
小栗判官の概要はこのようです。

「小栗の判官」「おぐり判官」「をくりの判官」「をくり」「おくり」などの名でも伝えられる。伝承は多く残っており、後に創作されたものもあり、それぞれにかなりの相違が見られる。説経節浄瑠璃歌舞伎など多くに脚色されている。また縁のある土地にもそれぞれの伝承が残っており、小栗の通った熊野街道は小栗街道とも呼ばれる。

人物としての小栗判官は、貴族藤原兼家と常陸国の源氏の母の間に生まれ、83歳で死んだとされるが、15、16世紀頃の人物として扱われることもある。子宝に恵まれない兼家夫妻が鞍馬毘沙門天に祈願し生まれたことから、毘沙門天の申し子とされる。

藤沢にある伝説の一つがこれ。

浄瑠璃で名高い小栗判官・照手姫ゆかりのお寺です。応永29年(1422)常陸小栗の城主、判官満重が、足利持氏に攻められて落城、その子判官助重が、家臣11人と三河に逃げのびる途中、この藤沢で横山太郎に毒殺されかけたことがあります。このとき妓女照手が助重らを逃がし、一行は遊行上人に助けられました。

写真は藤沢遊行寺にある長生院というお寺で、照手姫が判官死後仏門に入った後ここで余生をすごしたと言われているそう。

なんとな、だから遊行寺にある有名な・・・とお花屋さんのお姉さんが
話してくださったのね~~。知らなかった!!

左が小栗判官のお墓、右が照手姫のお墓

小栗判官の墓照手姫の墓

そしてまた以下のようなお話も。。
今度は実家のある場所のお話!!これまたびっくり。

説教節や浄瑠璃の「小栗判官 照手姫」の伝説で知られ、美濃の国青墓宿に売られてきた照手姫が主人から無理難題の苦役を強いられ、かごで水汲みをしたと伝えられる井戸の跡です。平成3年に小栗判官ゆかりの地が大垣に集り小栗サミットが行われました。

写真は照手姫の水くみの井戸

照手姫井戸照手姫井戸''

そして、以下の記述も。

死後は一度死んで蘇生する英雄として美濃墨俣の正八幡(八幡神社)に祀られ、照手姫も結びの神として祀られた。

あらまあ、ここも近い。

私は今藤沢市民だし、この伝説のひとつとしてある、井戸のある場所や、八幡神社は実は実家から車でほど近いところ。

照手姫が我が家にやってきてくれたのも、なんだか偶然とは思えない感じさえしてきちゃう。

今度遊行寺にあるお墓にご挨拶にいき、実家に帰ったら、この井戸や八幡様に行ってみようっと。
思ったのでありました。

 

 

 

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