どうして算命学だけじゃだめなの?

誰かと出会って、何を(仕事)をしているのですか?

と聞かれて、算命学とか、チベットヨーガ、そして最近はコンテンポラリー風水までが加わったと話すと、随分色々されているんですね~と言われることがある。

それぞれが奥の深い叡智の上に今日まで伝わってきたものである。

古代数千年の歴史を越えて今に伝えられているものであり、わたしは最初に出逢った算命学を学ぶ過程で、その奥深さを探求するうちに、同じ源をもつ他のツールのアプローチの仕方を学びたくなったのだ。

算命学は古代6000年以上前にその原型が生まれたとされているが、そこから膨大な仮説と検証を繰り返しながら、仮説のまま立証されなかった説は棄てられ、立証された説は理論として確立され、そこに技法が生まれてきた。

例えば、陰陽五行論はもともとは、陰陽説と五行説の別々の仮説であったものが、長い年月をかけて検証され、立証されて、五行論となり、陰陽論となったのである。そして、今日私たちが学ぶことができるように整い、その中に様々な技法が存在している。

先人たちが気の遠くなるような長い年月をかけてうみだしてきたことにほんとうに頭の下がる思いがする。そのことに敬意を持って学びたい。

人間は思考だけでなく、肉体をもち、感情をもつ。

そして、環境によって大きく影響を受ける。

2方向や3方向からのアプローチは相乗効果を生む。

身体と心がそろってこそ、人は思う方向に進んで行くことができるのだと思う。

さらに奥へ進みたいと思った時、肉体や環境がブロックになったというのが正しいかもしれない。

そのブロックを解消したい、と単純に思ったのだ。

身体をもつということは、ある意味しんどい。

肉体がなければ、と思うことがある。(笑)

スピリチュアルな世界にいる人たちのなかには、時に肉体を持っていないかのように思える人たちがいる。

現実を生きていないっていうかね。

そりゃあ、天使や精霊たちとファンタジーの世界で霞を食べて行きていけるのならそんな幸せなことはないかもしれないね。

だから肉体を持っているってこと、しんどいなあ、って思う。

でも身体は現実だから身体とコツコツと向き合うと見えてくることがある。

現実を生きるのが苦手な、行動するのが不得意な人たちこそ、ボディワークをおすすめしたい。

チャネリングやリーディングは得意とか、あっちの世界のことは得意だけれど、現実を生きる力不足な方達。

現実のことばっかりしか興味がなくて、自分以外の見えない生命たちへの思いがかけらもない人もいる。

支配欲の権化人ってしまったかのような人たちもいる。

わたしたちは誰一人例外なく、この宇宙に一緒に住んでいるのにね。

わたしは真髄にたどり着きたいと思っているし、自分のなかにある秘められたもの、を知りたい!と願っている。

それは私の底から沸き起こってくる熱情のようなものであり、自然な欲求で、そのために毎日があるといってもいい。

クンルンや瞑想にであったことはすごく幸せなことだ。

私も私の道を真剣に、かつ楽しんで歩いているし、きっと他の人もそうだと思う。

だから、他の人の道を否定する気はまったくない。

よく、これは本物だとか、これは怪しいとか、ニセモノだとかいう人たちがいる。あるいは、正しいとか正しくない、という言い方もされるけれど、人のことはいいじゃないか、と思う。

自分が本物だったらいいじゃないの。

自分が本物であることが大切。わたしはそこだけを見つめて自分の道を歩きたい。

先のことはわからないけれど。

ああ、そうそう、昨日のチベットヨーガのクラスに毎回参加してくれている男性がね、皇居のご奉仕に4日間いかれて、なんと、9万歩歩いたそう!

実はその男性はちょっと足に障害があるので、初日でできなくってしまったらこまるな~と思ったそうです。

それで毎日帰ってから、いつもクラスの最初にやっている、足のプラクティスというか、準備体操みたいなものなんですけどね、それをしたら、全く疲れ知らずで、「あれ、覚えてて良かった!」といってくださり、うれしい報告でした。

グラウンディングの瞑想もすごく役に立っている、と言ってくださった、これまた男性もいらして、常に自分を平静に保つとか、客観的にみることができる、感情に支配されない、というのは全くその通りで、身につけて日常に使ってもらえるためにやっているので、その場限りにしないで、どんどん使って欲しいな。

ありがとうございます。

明日は西宮を皮切りに六甲に行きます。

楽しみ!image

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに奥へ奥へと、探究心

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