永遠と刹那

片道4時間毎週父のところにいく。
それでも面会できるのはたったの15分。

9月の中旬、今の病院にはいることになった。
面会できるのは週に2回の決められた曜日と時間で、
そこにあわせていくのはなかなか難しい。
しかもたとえ複数でいっても部屋に入れるのはひとりだけ

ふたりなら15分の半分の時間で、3人なら3分の一ずつ。つまり5分ずつ。

ほかの地方はどうかわからないけれど、
病院をきめるときは面会ができるかぎりゆるいところと思っても、
どこも似たり寄ったりの条件があった。

はたしてほんとうにそれがみんなのためなのか?という疑問があり、
コロナ、コロナって、いまだ引きずっているのはいかがなものか、とか
ルールで縛られることに腹立たしくもあって、
もう少しなんとかならないものかと頼んだりもしてみたのだけれど、
誰か一人に融通をしたら、それはルールではなくなってしまうってこと、

わかるけど、せつなくて泣けた。

まだ面会がフリーになる(自由になる)状況にはない、と病院側はいうけれど、
フリーになったときには、
もうわたしのことも誰のこともわからなくなっているんじゃないの?
コミュニケーションができるうちに逢いたいのに、
できなくなってからフリーだって言われたってうれしくない!!!って思った。

逢いに行った15分のあいだ、どんなに声をかけて呼んでも、
一度も目を開けることがないこともあったりして、

そんなときは肩を落としてまた新幹線に乗った。

10月にはいって、完全に食べることを拒否して、父は点滴だけになった。
その点滴もすぐに静脈からは入らなくなり、
いつ何が起きてもおかしくない状況だと連絡がある。

永遠と刹那

それから言えば、たったの15分は刹那だ。
往復8時間の道のりと比べてもあっという間に終わる時間だ。

けれどもその刹那が刹那であるからこそ、
永遠と思えるくらいの、幸せな時間にかわった

一日中逢っていていいよ。ともし言われたら、

こんなふうな気持ちで、
こんなふうに愛おしんで、
こんなふうに濃い、やさしい時間を過ごせはしないだろう。と思う。

たとえ目を開けてくれなくても、
話ができなかったとしても、
ただただじっと、いびきをかいている寝顔をみつめて、
勝手に話しかけて、手足に触れているだけで幸せを感じるのだ。

もっと長い時間面会できたら父が起きて話が出来たかもしれないのに・・・と
15分ルールを腹立たしく感じることも、肩を落とすこともなくなった。

どうしようもできないこと(ルール)にとらわれていてもしかたない。

刹那は刹那だからこそ、こんなにもせつなく愛おしいのだ

刹那のなかにもとめてやまない永遠があった

昨日のこと。
父の冷えた手をマッサージしていて、
大人になってからこんなふうに父の手に触れたことがあっただろうかと振り返ってみても、、記憶がなかった。

お父さんの手ってこんなにきれいだった???

私の手のほうがずっと黒くて(日焼けです!といいたいが)、
骨張っていてしわしわでおばあさんみたいだね~(あ、おばあさんか・・・)

93歳の父の手は白くて、やわらかくて、しわもなくて、、、

(ってつぶやいたら、点滴をしていると肌は白くきれいになるのだそうだ・・・)

「お父さん、ちょっとずるいよ。白い手だね~~。わたしももっと色白に産んでくれたらよかったのに。。」

さしすせその発音が特に聞き取りにくくなっているから、

「あいうをやっへうれ~~」
???
あ?なに?って、
聞き取ろうと思ってもなにがいいたいのかさっぱりわからない。

会話になりません。苦笑

すると足をバタバタさせて布団をはねのける。

「あ、もしかして・・あいう・・は、あし??」
「あしをマッサージしてくれってこと??」

父がうなづく

そうか、手はもういいから足をやってほしかったのね~~(笑´∀`)
まもなく、、、

看護師さんがきて、「面会時間が過ぎてます」

(見逃してはくれなかったか・・と内心思いつつ、)父に別れを告げる。

次にまた逢えるという保証はない。
それは元気な人同士だっておなじこと。
せつない気持ちをこらえて「またね」と顔をなでる。

刹那と永遠

わたしの奧でなにかが反応している。

これは
父がくれた贈り物かもしれない。

ありがとう、おとうさん

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です