父を見送りました

<ご報告>

11月1日、満93歳で父が旅立ちました。

お心を寄せてくださった皆様、
ありがとうございました。

父を見送り、ひとりになって、しみじみとおもうのは

出逢ったことをほんとうの意味で味わうのは
その人に、もう触れることができなくなってからなのかもしれない、
ということ。


父への思い。
自分の道。
その両方の間で揺れて、
考えても考えても、
祈っても祈っても、
答えが見つからなくて、
どちらを選んでも心が痛くて、
その痛みとともに日々を過ごし続け、
誰かに、なにかに、すがりたかったとき、
「自分だったらどうするか。考えても考えても、わたしも答えが出なかった」という朋のことばに
涙があふれ、とても慰められたことがありました。

考える、ということは、
揺れ動く心のままに、そのままに
問いを生きることなんですね。

93歳、大往生といえる年齢で、
「地球卒業おめでとう!」って笑って祝ってあげられる、って思っていたけれど、もちろんそういう気持ちもあるけれど、

母も父も逝ってしまった今、なんだかもぬけの殻になってしまったような感覚で自分がひどく頼りない感じがしています。


宮澤賢治の詩が心に沁みます。

もうけっしてしさびしくはない
なんべんさびしくないと云ったとこで
またさびしくなるのはきまってゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさと悲傷とを焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ

この詩(うた)が大切な人をなくした誰かに届くといいな♡










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