え?お金はありすぎると不満足=不幸?

20130209114307

さて、本日の算命学プチアドバイスのお題は満足の度合い(幸せの度合い)についてです。

これは算命学の基本思想の一つである、体用論からのアドバイスになります。

体用論という言葉は算命学だけでなく、色々なところで見受けられます。
たいようろんと言っているものもあれば、たいゆうろんと言っているものもあります。

中国の思想史の観点から多くの禅思想は体用(たいゆう)思想で比較的簡単に説明できるとされていますし、

中国仏教において魏晋南北朝時代(184~589)には諸学派の異説が乱れ、論争が止めどもなく続いて、湯用トウ(とうようとう)氏によれば彼等の論争の中心は「体用(たいゆう)」の問題だとされているそうです(湯用トウ著「漢魏両晋南北朝仏教史」)。

また日本の天台本覚思想に「煩悩即菩提」の思想があり、この思想も体用の思想によって解釈することができるのだそう。

あるいは、日本の伝統的身体儀礼文化における、武術礼法から日常の礼儀作法について書かれた小笠原家家伝書では修身論で心を体用論で体を扱っているようです。

と様々ありますが、体と用というものの解釈の根っこはきっと同じところにあるのではないかと推察します。

ということで、

前置きが長くなりましたが、

算命学では
体を 現実、形あるもの、外面、陰、地 として、 また
用を 精神、無であるもの、内面、陽、天 としています。

人間は体(現実、形あるもの)と用(精神、無であるもの)の
バランスで生きている。

よって、
体と用のバランスが崩れると病気になる。
すなわち
カラダとココロのバランスがすごく崩れたものが病気だと考えています。
(あっ、はからずもカラダとココロについては前回のブログでシェアしましたね)

では例をあげて考えてみましょう。
例えば

今日はすご~く疲れたから明日はお昼くらい(12時)まで寝ていたいと思ったとしますね。これが用(精神)です。

ところが、会社に行かなくてはいけないのでいつも通り7時に起きたとします。
これが体です。(現実ですね)

この時、体(現実)と用(精神)の間に5時間の差ができます。
お昼まで寝ていることができなかった、5時間の差が
不満足=不幸の部分です。体と用のバランスが悪いですよね。
ココロとカラダが不一致な状態です。

では、疲れたから昼まで(12時)寝ていたいと思ったところ(用)、
家族が心配してもっと寝ていなさいといわれて無理やり夕方の5時まで寝かせられたらどうでしょうか?(体)

さらに夕方まで全部で17時間くらい寝たことになり、
もうこれでもかってくらい寝て、満足しますか?

もしも睡眠はお昼までで十分だとしたら、もうそれ以上寝ていたくないのにまだ寝ていなければならないのは、反って苦痛になりませんか?
これまた、体と用のバランスは崩れていますね。

本来の用を超えるのも実は不満足=不幸なんですね。

次はお金を例に挙げてみましょう。

100万円欲しいとします。これが用(精神)です。
実際には10万円しか入ってこなかったとします。これが体(現実)ですね。

これはよくわかりますよね? 90万円足りないわけですから
当然不満足=不幸です。体と用のバランスが崩れています。

では100万円欲しいとします。これが用(精神)です。
実際には1000万円入ってきたとします。これが体(現実)ですね。

これはどうですか?
うれしいですか?うれしいですよね~~?
100万円欲しいと思ったところに1000万円入ってきたら
ラッキーじゃないですか?900万円も余分に入ってきたのですからね。どうします?何に使います?それとも貯金しますか?(笑)

それがね、そう喜んでもいられないかもしれないのですよ。

もしこの人の宿命が宿命通り輝いて生きていくのに100万円必要なところにそれをはるかに超えて1000万円入ってきたら、その宿命は
不満足=不幸になると、この体用論では考えるのです。

 

え~~!!!ですか?

何がいけないの?って思いますよね?

感情が欲しがるのではなく、あくまで宿命が欲しがっているかどうかが
問題なのです。

1000万円入ってきてほんとうに幸せ(満足)であるならば、それは
100万円ではなく、元から1000万円欲しかったのだということになります。

ですが、本来は100万円で十分であるところに1000万円入ってきたら、900万円の余分は不幸をもたらすことがあると考えているのですね。(900万円くらいじゃ、例としては差がすくないかなあ・・・)

ホリエモンにしても、小室哲哉氏にしても、村上ファンドの村上氏にしても(みな事件(犯罪)を起こしています)、みな十分にお金持ちであったはずなのに、犯罪をおかしてしまいました。
それはなぜだったのでしょうか?
理由は様々あったでしょう。

体用論の観点から考えてみると、

彼らが宿命を輝かして幸せに生きていくのに 必要かつ十分なお金を
すでに持っていたはずなのに、それ以上のお金を 犯罪を犯してまで
儲けようとしたのは、その時すでに得ていた財が
実は不満足なものであったからということになります。

必要以上に財を得、多くを取りすぎていたから、
宿命は不満足であったわけですね。

本当にその時所有しているものに宿命が満足していたら
刑務所に入るというリスクを犯してまで する行為ではなかった
ということになります。
実は不満足だったからこそ、
あのような犯罪を犯すことになってしまうわけですね。

これまでも大金持ちの人たちの 犯罪や事件がありましたね。
大金持ちと言われる人たちの行く末が必ずしも幸せでなかったり
する理由がここにあると、この体用論では考えているのですね。

なぜなら、

取りすぎることが、不満足=不幸であることに人間は気づきにくいからです
特に、財は、多すぎることが不満足になるとはなかなか気づけないのですね。そういう魔力があるのでしょうね~~
そしてどんどん不満足がたまっていくと、最後に犯罪に手を出すようにさえなってしまうのです。(もちろん必ず犯罪に手を出すということではないですよ。それ以外のこともありますね。病気になるとかね。)
普通に考えたらおかしいでしょ、絶対しないでしょ?って思うようなことをしてもきづかなくなってしまっているのですね。

自然界はそうではありませんね。

もっともっと欲しがるというようなことがありません。

精一杯に自分の生をまっとうしようとしているだけですね。

でも人間は

ありあまる財産(資産)を持ち、すでに不満足であるのにも気づかず、
さらに資産を増やそうとして、どんどん不満足が大きくなっていくのです。
そして最終的には身を滅ぼすようなことになってしまう・・・・

女性の財産や相手の地位目当ての結婚がうまく行かなかったり、
結果として不幸になるケースが多いのも同じことが言えます。

自分の用をはるかに超えた結婚は不幸になります。

体(現実、肉体、外面など)と用(精神、心、内面)を
一致させて行かないと生きていけないのが自然界の掟でも
あるのです。

用が多すぎても、体が多すぎても不満足=不幸です。

どんなに好きなものでも、美味しいものでも
食べ過ぎれば気持ち悪くなるでしょう?
それでも、もっともっと食べ続けたら病気になるかもしれない。
さらにもっともっと食べ続けたら死んでしまうことだってあるかもしれませんね。

それは不幸なことですよね。

だけどね、

人にはそれぞれというものがあって、

1000万欲しい(必要)宿命もあれば、
一億欲しい(必要)宿命もあれば、
100万円欲しい(必要)宿命もあります。

それは人それぞれです。

100万円欲しい(必要)Aさんが100万円を得る。
1億欲しい(必要)Bさんが1億を得る。

この2人の姿はどちらもバランスが良くて満足ですね。

そしてどちらも幸せ。

AさんとBさんの満足の度合いは同じ!なんですよ。
1億を得たBさんの方が満足度が大きいことにはなりません。

だからね、額は問題ではないのですよ。
自分を知らずして他者をうらやましく思う必要もなければ、
自分の方がすごいとかすごくないと思うことも違いますね。
比較の問題でも競争でもありません。

自分のいのち(使命)を輝かして、精一杯に生きることで
自分にとっての最高・最善が得られればそれが満足なんだと思います。

私とあなたの満足=幸せはそれぞれ違います。
わたしはわたし。 あなたはあなたです。

数字だとわかりやすいのでお金を例に挙げましたが、
あらゆるものの満足が人それぞれ違うということですね。

他者との比較のなかに自分の幸せはないということですよ。
アメリカ型の成功がすべての人にとってのゴールではないということです。
たくさん所有すれば満足なのでもないのです。

だからといってたくさん所有するなということでもありませんよ。

自分がどういう状態が満足なのかを
算命学では数理法という理論で数値で表すことができます。

もちろん宇宙に制限はありません。
エネルギーだってお金だって無限です。

取りすぎたらね、社会に循環しましょう!(^^)!
自分だけっていうふうにしなければいいのです。と思います。

東洋の考え方は中庸を重んじるところがあります。

ほどほどに、というものですね。
あるいは分をわきまえよということも言いますね。

それはね、人は足りないのが不満足なのはよくわかるけれど、
取りすぎ、ため込みすぎ、持ちすぎにはなかなか気付けないことを、
ほどほどに、というような 言い方で示しているのだと思います。

いかがですか?
皆さんはどう考えますか?

真の満足とか幸せって、自分にとってどういう状態なのか、
考えてみるきっかけになれば幸いです。

さて、私は明日・明後日は名古屋です。

算命学個人セッションと
なかむらファミリークリニックでのチベットヨーガクラスです。
チベットヨーガクラスは1月はお休みでしたので、今年になって
最初のクラスですね~~💛 楽しみ^^

来週は
15日 午前 算命学初級Ⅱクラス 午後チベットヨーガクラス
夜 算命学初級ⅠSkypeクラス
16日 算命学ってどんなもの? 体験講座 参加者募集中!!
18日 田村国晴先生とのコラボチベットヨーガクラス!満員御礼

16日体験講座、まだご参加間に合いますので来てね~~^^

 

 

 

 

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